小児脳神経外科医の高橋義男さん(74)は北海道・苫小牧市の病院で子どもたちと向き合っている。手術した数は5000を超え、1万人以上を治療してきた。患者の一人・中佐優李くん(9)は生まれてすぐ脳に重い病気が見つかった。運動機能や認知機能に問題があり、会話することも難しいと告げられた。すがる思いで訪れた母・早苗さんに義男先生は「俺が診ていくから。ついて来い」と言ってくれた。義男先生の奇跡は「義男の空」としてマンガにもなった。「子どもは死んじゃいけない。これから夢をつくっていくからよ」と語った。
札幌で暮らす永原亮さん(27)は義男先生に命を救われ一緒に人生を歩んできた。悪性リンパ腫で最初の担当医には手の施しようがないと言われた。義男先生はそんな厳しい状況でも手術に挑んで救った。足に麻痺が残ったが家族の支えで病気を克服した。亮さんは義男先生が毎年開くサマーキャンプを楽しみにしていた。障害のあるなしに関わらず、子どもたちが一緒になって様々なアトラクションに挑戦する。義男先生は「ハンディキャップある人もない人もまぜこぜになっていかないといけない。みんなで協力することで生きててよかったという空間がつくれる」と語った。車いすの亮さんには立たせて歩く練習をさせた。脳外科手術に使った製品が病原体に汚染されていて、手術を受けた人がヤコブ病を発症する「薬害ヤコブ病」が発生し、義男先生が手術した患者も被害者となった。その責任を巡り国などと争った訴訟で被害者を支援した義男先生は病院を辞めざるを得ない状況に追い込まれたが、亮さんたちに背中を押され再出発した。義男先生は患者の子どもたちに毎朝電話をかけている。当直もこなし病院と自宅を往復する毎日を送っている。一人暮らしで帰宅しても頭の中は子どもたちのことで一杯。原点は母・光子さんの「強くなって弱い人を守れる人になりなさい」との教えだという。
札幌で暮らす永原亮さん(27)は義男先生に命を救われ一緒に人生を歩んできた。悪性リンパ腫で最初の担当医には手の施しようがないと言われた。義男先生はそんな厳しい状況でも手術に挑んで救った。足に麻痺が残ったが家族の支えで病気を克服した。亮さんは義男先生が毎年開くサマーキャンプを楽しみにしていた。障害のあるなしに関わらず、子どもたちが一緒になって様々なアトラクションに挑戦する。義男先生は「ハンディキャップある人もない人もまぜこぜになっていかないといけない。みんなで協力することで生きててよかったという空間がつくれる」と語った。車いすの亮さんには立たせて歩く練習をさせた。脳外科手術に使った製品が病原体に汚染されていて、手術を受けた人がヤコブ病を発症する「薬害ヤコブ病」が発生し、義男先生が手術した患者も被害者となった。その責任を巡り国などと争った訴訟で被害者を支援した義男先生は病院を辞めざるを得ない状況に追い込まれたが、亮さんたちに背中を押され再出発した。義男先生は患者の子どもたちに毎朝電話をかけている。当直もこなし病院と自宅を往復する毎日を送っている。一人暮らしで帰宅しても頭の中は子どもたちのことで一杯。原点は母・光子さんの「強くなって弱い人を守れる人になりなさい」との教えだという。
住所: 北海道苫小牧市光洋町1-12-20
URL: http://isyuukai.jp/
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