タサン志麻に密着。志麻の誕生日パーティーを馴染みのレストランで行った。シェフは志麻の調理学校時代の同級生。志麻は最初は家政婦の仕事に抵抗があったと明かした。フランスでの修行時代にホームパーティーに呼ばれた志麻は、そこで会話が絶えない楽しい雰囲気に衝撃を受け「人を笑顔にする料理が作りたい」と思ったという。帰国すると都内屈指の高級フレンチに就職し、わずか1年でナンバー2に抜擢されるが、料理に打ち込めば打ち込むほど満たされない思いが募っていった。3年経ったある日、突然店を辞めた志麻。同級生は「志麻ちゃんよりテンションの低い人は蹴散らしてしまう感じだった」と語った。「働いていて苦しかった」という志麻は次に勤めた店も突然やめてしまった。
そんな中、夫と出会い、結婚して子どもを授かった志麻。身重の身体で働ける仕事を探し、家政婦の仕事を初めたが「なぜ自分はこんなことをしているのか」と悩んだ。子どもの流産がさらに追い打ちをかけた。そんな中、仕事で育児と仕事で疲れた母親達と接するうちに「何か力になれないか」と考えるようになった。ある日、フランスの家庭料理を作ってみると「どれも本当においしくて食卓の会話も弾みます。仕事の疲れも吹っ飛びます」と言ってもらい、フランスで見た光景が甦ったという。志麻は「お客様が変えてくれた。自信を持ってこういう仕事をしていますって言えます」と語った。
そんな中、夫と出会い、結婚して子どもを授かった志麻。身重の身体で働ける仕事を探し、家政婦の仕事を初めたが「なぜ自分はこんなことをしているのか」と悩んだ。子どもの流産がさらに追い打ちをかけた。そんな中、仕事で育児と仕事で疲れた母親達と接するうちに「何か力になれないか」と考えるようになった。ある日、フランスの家庭料理を作ってみると「どれも本当においしくて食卓の会話も弾みます。仕事の疲れも吹っ飛びます」と言ってもらい、フランスで見た光景が甦ったという。志麻は「お客様が変えてくれた。自信を持ってこういう仕事をしていますって言えます」と語った。