漫画家、やなせたかしさんはアンパンマンの生みの親。やなせさんは「怪獣をやっつけるよりも、おなかがすかないようにしてあげるのが正しいと思った」などと語っていた。学生時代はデザインを学んだやなせさんだが、夢への道に戦争が影を落とし、中国の戦地へ送られた。戦争の正義を信じていたが、終戦後、自分の信じた正義が一変してしまう。「正義は逆転する」「戦争には真の正義はない」などと話した。いろいろな仕事をする中、やなせたかしが作詞した曲「手のひらを太陽に」は注目を集めた。
一方、本業の漫画ではなかなかヒット作に恵まれないが、正義をテーマとする作品を書き始め、昭和44年、初めてアンパンマンが登場した。当時流行の正義の味方とは全く違うヒーローだった。やなせさんの考える本当の正義が作品として描かれた。昭和48年、幼児向けの絵本を発売する。大人からは不評だったが、子どもたちの反応は違い、夢中になって読んでいた。昭和63年にTVアニメが始まり、69歳にしてやっと手にした代表作になった。「アンパンマンのマーチ」を歌うやなせさんの映像が映る。
アンパンマンを書き続けた一方で、30年以上無報酬で続けたのが、イラストレーターや詩人を目指す人が作品を発表する雑誌の編集長の仕事を続けた。東日本大震災のとき、やなせさんは引退を決意していた。そこにラジオでアンパンマンのマーチにリクエストが殺到しているという本人も驚く知らせが届く。やなせさんは病に冒された体をおして被災者の支援に乗り出した。やなせさんはなくなる直前まで描き続けた。
一方、本業の漫画ではなかなかヒット作に恵まれないが、正義をテーマとする作品を書き始め、昭和44年、初めてアンパンマンが登場した。当時流行の正義の味方とは全く違うヒーローだった。やなせさんの考える本当の正義が作品として描かれた。昭和48年、幼児向けの絵本を発売する。大人からは不評だったが、子どもたちの反応は違い、夢中になって読んでいた。昭和63年にTVアニメが始まり、69歳にしてやっと手にした代表作になった。「アンパンマンのマーチ」を歌うやなせさんの映像が映る。
アンパンマンを書き続けた一方で、30年以上無報酬で続けたのが、イラストレーターや詩人を目指す人が作品を発表する雑誌の編集長の仕事を続けた。東日本大震災のとき、やなせさんは引退を決意していた。そこにラジオでアンパンマンのマーチにリクエストが殺到しているという本人も驚く知らせが届く。やなせさんは病に冒された体をおして被災者の支援に乗り出した。やなせさんはなくなる直前まで描き続けた。