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「わたもち」 のテレビ露出情報

渡辺直美の経歴を紹介。幼少期、「志村けんのだいじょうぶだぁ」を見て芸能界に憧れる。母が台湾人で、台湾の日本専門チャンネルで高頻度で放送されていたのを見た。志村から「俺を見て育っただろ」と激励されたことも。中学時代は友達にモノマネを披露していた。1つ下にヤンキー集団がいて、それをモノマネしていたのを本人に見られ殴られそうになったことも。06年、NSCに入学しコンビで活動。主に演じていたのはコント。このころは貧乏で、同期で面接も同じだった太田が食事をおごっていた。
渡辺直美の経歴を紹介。07年、ピン芸人としてデビュー。翌年にビヨンセのモノマネで大ブレイクし「笑っていいとも!」に出演。解散後は相方を探すつもりだったが、もともと持っていたビヨンセネタを今田耕司に見出され「さんまのまんま」に出演。ブレイク直後に先輩・友近と楽屋が一緒になった際、緊張から椅子に座らず壁に向かって立っていた。このころ風呂を貸していた吉村いわく、ブラジャーはガムテープで補強し男性用のブリーフを着用していた。当時ブラを1枚しか持っていなかった。このことを森三中・大島に知られると10枚ほどプレゼントされた。
渡辺直美の経歴を紹介。11年、千鳥や吉村と同じく「ピカルの定理」にレギュラー出演。番組には途中参加。当時は同期の綾部と吉村がバチバチで、先輩の千鳥が入ってきたことで安定したという。番組が終わった14年、米NYに留学。当時は寂しさから後輩の小川と長電話をしていた。主な話題は恋バナ。16年、インスタが人気に。フォロワー数は現時点で10004万人。
渡辺直美の経歴を紹介。16年、芸歴10周年を記念したワールドツアーを開催。特に盛り上がったのが、投げられたマシュマロを手を使わずにキャッチする特技「マシュマロキャッチ」。参考にしたのは志村けんの「ヒゲダンス」。17年にはドラマ主演、19年にはCM起用社・出稿量ランキングで1位に。この頃から海外の仕事が来るようになり、大悟から後押しされたことで渡米を決意。19年から日米の交互生活を始め、20年には「いける」と確信しニューヨークに家を購入。まだ未完成で今も住めていない。今では現地に芸人仲間を招待している。向井が渡辺の案内でNY観光中、同じく渡米中のウーマンラッシュアワー村本に遭遇。ピース綾部がNYに住んでいたころはよく一緒に食事していた。
渡辺直美の経歴を紹介。22年、ビヨンセからブランドの広告モデルに指名される。相手方のスタッフはビヨンセのモノマネをしていることを知っていて、撮影現場で披露し大盛りあがり。この様子をビヨンセも見ていたが、「今は直美の時間だから」と隠れ続けてくれた。23年、全米7都市でトークライブを開催。公演は全編英語で、客からの質問にも英語で応じた。都市によって法律が違うため話題も異なっていた。現地では日本のような芸人が集まってワイワイするような番組はほぼないため、これを米国に持ち込めないか画策している。きょうの出演者の中でアメリカ受けしそうと考えているのは吉村、友近。26年2月11日、東京ドームでライブを開催。チケット即完、4万5000人を動員。

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