平井は、ソニーのトップだったとき、プレイステーションの半導体の生産をアメリカのAMDに任せた。プレイステーションの生みの親である久夛良木健の路線を大きく転換するものだった。当時の状況について、平井は、プレイステーション3の半導体は社内で製造していたが、プレイステーション4の時代には、チップ時代の性能がかなり出ていて、自分たちで投資をするのではなく、AMDと組んで、製造のハブは外部で負担してもらい、自社ではオンラインネットワークなどソフト自体に投資した、資源配分の仕方をプレイステーション4でシフトしたなどと話した。平井は、コストやリスク分散の観点から判断した、チップセットのパフォーマンスは出ていたから、チップセットに頼ることはなくなると考え、ソフトやネットワークサービスで成果をあげることを重視したなどと話した。ラピダスについて、平井は、半導体の製造ラインの立ち上げは時間がかかる、日本の技術やノウハウが活きてくるところだなどと話した。