1937年に中国の上海で撮影された映像が流れた。ヨーロッパやドイツよりも先駆けて戦争を行ったのは日本だった。ただ日本は苦戦した。この頃、中国を強力に支援するヨーロッパの国があった。それがドイツだ。そこで当時の中国国民党軍の訓練の映像が流れた。ドイツから中国へ多くの武器が輸出されて、そのことでドイツは莫大な利益を得ていたという。ドイツは日本と結びながら、中国とも経済的な結びつきを持っていたという。そして日中戦争は泥沼化していった。1938年にヒトラー・ユーゲントというナチ・ドイツの青年団が来日した際の映像が流れた。
1938年。ヒトラーは中国への軍事支援を打ち切って武器輸出を停止した。そして日本を東アジアの唯一のパートナーに選んだ。ドイツは1938年にオーストリア併合、1939年にチェコスロバキア解体、そして1939年に起きたポーランドとの衝突が第二次世界大戦のきっかけになった。ヒトラーはスターリンと不可侵条約を結び、ポーランドを挟み撃ちにする密約を交わした。そしてドイツはポーランドを攻撃したが、そのことでイギリスとフランスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が勃発した。そして攻撃を受けたワルシャワの映像が流れた。
その頃に中国東北部の満州で撮影された映像が流れた。日本の傀儡国家の満州が建国されて、多くの日本人が海をわたって開拓を行った。当時の記録映画は満州を未開の地と位置づけて、日本の技術と資本で近代化されたと謳い上げているという。一方で開発によって土地を奪われた現地住民の不満が高まっており、日本人移住者が襲撃を受けることも度々あったという。1940年になると日中戦争は4年目になり、ドイツに変わってアメリカとイギリスが中国を支援した。
ヨーロッパでは1940年にドイツがフランスの攻略を行った。ドイツはオランダとベルギーを制圧してフランスに迫り、その際の映像が流れた。映像には指揮戦車が映っており、無線を駆使して部隊を統率して電撃作戦を行った様子が伝えられた。その頃、イギリスではウィンストン・チャーチルが首相になり、そこでダイナモ作戦という救出作戦を行った様子が伝えられた。ただその後、ドイツはフランスを撃破して休戦協定を申し出た。フランスを屈服させたヒトラーがベルリンに凱旋し、偉大な指導者と称えられた。
ドイツの快進撃は日本軍にも追い風になった。フランスがドイツに支配下になると、日本はその空白を突いてフランス領インドシナへと侵攻した。日本軍は資源豊富な東南アジアへと進むことになり、一方でアメリカはこれに反発して経済制裁を行った。ヨーロッパではフランス降伏の1ヶ月後にヒトラーがチャーチルに和平を呼びかけた。しかしチャーチルはヒトラーの呼びかけに応じることはなかった。ヒトラーはイギリスへの攻撃を行い、イギリスは防空システムに力を入れて、ドイツはこのことで航空戦力の多くを失った。
ドイツと日本はイタリアを加えた三国による軍事同盟を締結した。ただ近衛文麿は米英との対立を恐れて、ドイツと軍事同盟を結ぶことに慎重だった。しかし松岡洋右などに説き伏せられて同盟を結ぶことになった。1940年に紀元2600年を祝う行事が行われた。こうした愛国心を高揚させるイベントは戦争の現実を忘れさせたという。
同じ頃、ドイツが占領するポーランドではユダヤ系住民への迫害が始まっていた。そこでユダヤ人の特別居住区を撮影した記録映像が流れた。ゲットを生き延びた人たちも、その後は絶滅収容所へ送られていくことになる。1940年12月のナチ・ドイツのクリスマスの様子が納められて映像が流れた。ドイツは占領下のフランスでワインの生産や取引を管理して搾取するシステムを構築した。またドイツはイギリスとの戦争を諦めているわけではなく、列車砲などを用意している様子も伝えられた。ただこれはカムフラージュで、ヒトラーが本当に敵だと定めていたのはソ連だったという。そして日米開戦へのカウントダウンも始まっていたという。
1938年。ヒトラーは中国への軍事支援を打ち切って武器輸出を停止した。そして日本を東アジアの唯一のパートナーに選んだ。ドイツは1938年にオーストリア併合、1939年にチェコスロバキア解体、そして1939年に起きたポーランドとの衝突が第二次世界大戦のきっかけになった。ヒトラーはスターリンと不可侵条約を結び、ポーランドを挟み撃ちにする密約を交わした。そしてドイツはポーランドを攻撃したが、そのことでイギリスとフランスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が勃発した。そして攻撃を受けたワルシャワの映像が流れた。
その頃に中国東北部の満州で撮影された映像が流れた。日本の傀儡国家の満州が建国されて、多くの日本人が海をわたって開拓を行った。当時の記録映画は満州を未開の地と位置づけて、日本の技術と資本で近代化されたと謳い上げているという。一方で開発によって土地を奪われた現地住民の不満が高まっており、日本人移住者が襲撃を受けることも度々あったという。1940年になると日中戦争は4年目になり、ドイツに変わってアメリカとイギリスが中国を支援した。
ヨーロッパでは1940年にドイツがフランスの攻略を行った。ドイツはオランダとベルギーを制圧してフランスに迫り、その際の映像が流れた。映像には指揮戦車が映っており、無線を駆使して部隊を統率して電撃作戦を行った様子が伝えられた。その頃、イギリスではウィンストン・チャーチルが首相になり、そこでダイナモ作戦という救出作戦を行った様子が伝えられた。ただその後、ドイツはフランスを撃破して休戦協定を申し出た。フランスを屈服させたヒトラーがベルリンに凱旋し、偉大な指導者と称えられた。
ドイツの快進撃は日本軍にも追い風になった。フランスがドイツに支配下になると、日本はその空白を突いてフランス領インドシナへと侵攻した。日本軍は資源豊富な東南アジアへと進むことになり、一方でアメリカはこれに反発して経済制裁を行った。ヨーロッパではフランス降伏の1ヶ月後にヒトラーがチャーチルに和平を呼びかけた。しかしチャーチルはヒトラーの呼びかけに応じることはなかった。ヒトラーはイギリスへの攻撃を行い、イギリスは防空システムに力を入れて、ドイツはこのことで航空戦力の多くを失った。
ドイツと日本はイタリアを加えた三国による軍事同盟を締結した。ただ近衛文麿は米英との対立を恐れて、ドイツと軍事同盟を結ぶことに慎重だった。しかし松岡洋右などに説き伏せられて同盟を結ぶことになった。1940年に紀元2600年を祝う行事が行われた。こうした愛国心を高揚させるイベントは戦争の現実を忘れさせたという。
同じ頃、ドイツが占領するポーランドではユダヤ系住民への迫害が始まっていた。そこでユダヤ人の特別居住区を撮影した記録映像が流れた。ゲットを生き延びた人たちも、その後は絶滅収容所へ送られていくことになる。1940年12月のナチ・ドイツのクリスマスの様子が納められて映像が流れた。ドイツは占領下のフランスでワインの生産や取引を管理して搾取するシステムを構築した。またドイツはイギリスとの戦争を諦めているわけではなく、列車砲などを用意している様子も伝えられた。ただこれはカムフラージュで、ヒトラーが本当に敵だと定めていたのはソ連だったという。そして日米開戦へのカウントダウンも始まっていたという。
