- 出演者
- 池上彰 宇賀なつみ 谷まりあ カズレーザー 都築拓紀(四千頭身) 片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE) 浮所飛貴(ACEes) 深田竜生(ACEes)
戦後80年を迎えた。第二次世界大戦について解説する。いわゆる「太平洋戦争」は世界大戦の一部に過ぎない。日本・ドイツ・イタリアなどの「枢軸国」とアメリカ・イギリス・フランスなどの「連合国」が、世界中を舞台に激戦となり、犠牲者は5000万人以上、日本だけでも約310万人にのぼった。枢軸国とは伊・ムッソリーニ首相がローマとベルリンを結ぶ線が欧州の回転軸になると述べたことによる。8月15日が終戦の日になったのは「玉音放送」(天皇陛下が日本の終戦を伝えた放送)が行われたからで、国や地域によって終戦の日は異なる。ヨーロッパではドイツが降伏した5月8日が多く、世界的には9月2日である。1945年7月独・伊降伏後も抗戦を続ける日本に無条件降伏を迫る「ポツダム宣言」が出たが、日本はこれを「黙殺する」と発表。これを拒否と捉えた連合国との戦争が継続され、8月に原爆が投下された。8月14日日本は宣言を受諾、15日の玉音放送を経て9月2日、東京湾上の戦艦ミズーリにて降伏文書に調印した。原爆投下の場所は広島、長崎、そして小倉(現北九州市)の3か所が候補だった。1945年8月6日広島に原爆投下、9日に爆撃機は小倉へ向かったが、視界不良のため長崎へ変更された。原爆が2度投下された理由は、違う種類の原爆の威力を試すと同時に、戦後を見据えたソ連への牽制が目的だったとされる。核開発は戦後も続けられた。1946年ビキニ環礁で行われた核実験は凄まじい衝撃を世界に与えた。その後パリで行われた水着ファッションショーに登場したセパレート水着は、衝撃的という意味で「ビキニ」と名付けられたという。日本では映画「ゴジラ」が、核実験で怪獣「ゴジラ」が目覚めたという設定だが、そのきっかけは1954年の第五福竜丸事件だった。ビキニ環礁周辺で漁をしていた第五福竜丸の船員全員が被爆をし1人が亡くなった。
戦争の影響で北方領土が占領された。日本としては8月15日に戦争が終わったつもりになっていたが、戦後のドサクサに紛れて取られてしまったのが北方領土。国後島、択捉島、色丹島、歯舞諸島からなる北方領土は、19世紀半ば以降ずっと日本固有の領土。第二次世界大戦末期、日本とソ連は「お互いに侵略しない」との約束だったのに、ソ連は一方的に約束を破り日本へ侵攻。8月15日以降も攻め続けた。ソ連はその後「まだ降伏文書に調印していない」と言って、どんどん占領してきた。1945年8月28日から遅くとも9月5日までの間に北方4島全てを占領。つまり、降伏文書が調印された9月2日以降も北方領土に対するソ連の占領が続いた。1951年、領土を確定するサンフランシスコ平和条約で日本は千島列島を放棄したが、そもそも北方領土は千島列島に含まれていない。一方、ソ連は条約の署名を拒否し、「北方領土は千島列島に含まれる」と主張。こういった認識の違いが現在も続く北方領土問題の大きな原因。
政府としてはあくまで北方領土問題を解消し平和条約を結ぼうという方針は持っているが、ロシアがウクライナに軍事侵攻したことに対して日本がロシアを批判したこともあって、平和条約の交渉は中断されたままになっている。
戦後、世界から戦争をなくそうとしてつくられたのが国連。国連の正式名称を問われた都築拓紀は「国際連盟」と回答。国際連盟は第一次世界大戦の後にできた組織。1945年10月につくられたのは国際連合。国際連合は英語で何というか問われたACEesの深田竜生は「EU」、片寄涼太は「United Nationとか」と回答。United Nationsが正解で、これを国連と訳しているのは日本独特。直訳すると連合国なので、中国では連合国と訳している。つまり、第二次世界大戦で勝った連合国がつくった国際組織。第二次世界大戦でできた組織が今も続いている。連合国が「我々が中心になって平和を守ろう!」と、そのままの名前でつくった組織が国連。そんな国連の中で日本はまだ敵国だったのか。
完全保存版、日本人なら戦争のことを考えようスペシャル。戦争や紛争が起こると集まって話し合う国連の組織が安全保障理事会。特に国際的な争いについて緊急の対応が必要なときに15カ国が集まって話し合っている。常任理事国は5カ国で、ずっと同じ国。非常任理事国は10カ国で、任期2年ごとに半分ずつ改選。常任理事国のアメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアには物事を決める時に強い権限が与えられている。その権限を何というか問われた片寄涼太は「拒否権とか」と回答。安全保障理事会で何かを決めようというときに5カ国のうちの1つでもそれに反対すると決められない。例えば去年4月にはパレスチナの国連への正式加盟を進める決議案に対して、アメリカが同盟国のイスラエルをかばうため拒否権を使用。ではなぜこの5カ国にだけ強い権限が与えられているのか。ACEesの浮所飛貴は「第二次世界大戦で勝った連合国に入っていた国たちの中でも活躍した国」と回答。一番強い力を持っていた国々を中心に国際連合ができたので、この5カ国には特別の力を最初から与えるようにしていた。つまり、決定当時のパワーバランスが80年たっても今もそのまま残っている。
「日本は今も敵国扱いだった!?」という問題は戦後80年、変わっていない。国連には旧敵国条項という決まりがある。旧敵国とは第二次世界大戦のときに連合国と戦った敵の国である日本やドイツやイタリア。例えばB国からA国が攻撃されたということになると、安全保障理事会の許可があればA国は反撃できる。しかし旧敵国がA国を攻撃してきた場合、A国は安全保障理事会の許諾なしに勝手に戦争してもいい。日本が中国を攻撃した場合、中国は安全保障理事会にこれを提訴する必要がない。直ちに日本に反撃することができる。国連で旧敵国条項をやめようという話になっているが、残っていたほうが都合がいいと思っている国があるかもしれない。カズレーザーは旧連合国に属していた国同士のほうが今は顕在化しているので「旧敵国条項とかあんまり気にしてられないと思う」などとコメント。
毎年今の時期ニュースになる靖国神社には戦争に関わった人たちがまつられている。第二次世界大戦よりずっと前から日本が関わった争いで亡くなった人をまつっている。靖国神社にまつられている幕末の英雄を問われたACEesの浮所飛貴は答えられず、カズレーザーは「西郷隆盛?」と回答。西郷はまつられていない。正解は坂本龍馬、高杉晋作、吉田松陰。今から160年前、江戸から明治に変わる頃に活躍し、日本の近代化に貢献したと言われている人たちがまつられている。こういった人たちをまつるために靖国神社がつくられた。江戸幕府を守ろうという勢力と明治維新で新しい政府をつくろうという勢力による戊辰戦争が起きた。明治政府側に立って亡くなった人たちをまつろうとして明治天皇によって靖国神社の前身となる招魂社ができた。西郷隆盛は最終的に反政府側に立ったので靖国神社にはまつられていない。その後、日清戦争、日露戦争と次々に戦争をして大勢の人が亡くなっていくと「この人たちはお国のために死んだのだから」と言って、みんな靖国神社にまつられるようになった。
靖国神社は中国人に落書きされたり、政治家が参拝すると中国や韓国からクレームがくるなどニュースになる。どうして批判されるのか。GENERATIONSの片寄涼太は「戦争で傷つけられた経験がある国だからこそ、戦争を肯定するような考え方なのか、みたいな考え方だったりするのかな」などとコメント。靖国神社にまつられている人の中には連合国によって戦争犯罪人とされた人が入っている。だから総理大臣あるいは閣僚が参拝すると「あの戦争を正当化しているのか」と言って批判をする人たちがいる。特に中国あるいは韓国が問題視するのはA級戦犯の合祀。A級戦犯を聞いたことがあるか問われた深田竜生は「ない」と回答。浮所飛貴は「戦争犯罪人の中でもイチバン悪い階級の人たち」などとコメント。A級犯罪は平和に対する罪で、戦争を計画した戦争犯罪人をA級戦犯という呼び方をする。B級犯罪は捕虜を虐待したなどの罪、C級犯罪は人道に対する罪。戦後、戦争犯罪人の釈放などを求める国民運動が起き、死刑になった戦犯は公務で亡くなったという扱いになった。1978年、靖国神社はA級戦犯14人をまつった。国家のために一命を捧げた人々の霊を慰め、それを後世に伝えることが目的。祖国を守るという公務で亡くなられたわけだから靖国神社にまつってもいいだろうと考えた。また、日本の場合は亡くなった人はみんな神様になるんだということなので、戦前どういうことがあっても神様なんだからいいじゃないかと考える人がいる。一方で中国は「中国侵略を計画した者が靖国神社にまつられている。それを参拝するのは許しがたい」と言って猛反発。カズレーザーは、アメリカにも軍人をまつる墓地があるが、他国が文句を言うことはあるのか質問。国家として文句を言うことはない。アメリカは勝ったが日本は負けたからというところは大きい。
今年は戦後80年、忘れてはいけない第二次世界大戦のことを日本人なら知っておこう。連合国と枢軸国という2つのグループに分かれ55カ国が参戦した第二次世界大戦で、日本はなぜ世界を相手に戦争をしたのか。都築拓紀は「仲間を助けるために立ち上がった」、浮所飛貴は「真珠湾攻撃から本格的に第二次世界大戦に参加」などとコメント。
第二次世界大戦はどう始まってどう終わったのか。日本が開国してから初めて世界と戦ったのは何戦争か問われた深田竜生は「僕の学校でそれは習ってない」、片寄涼太は「日清戦争」と回答。明治27年の日清戦争後、10年ごとに大きな戦争を行い、いずれも勝利を収めた。第一次世界大戦が終わったのが1918年で、それからおよそ20年後に第二次世界大戦が始まる。日本が世界と戦うことになったきっかけと言われる場所を確認。当時は中華民国の一部。谷まりあは「満州?」と回答。中国東北部のことは満州と呼ばれ、ここを通っていた鉄道「南満州鉄道」の経営権は日露戦争の勝利でロシアから獲得。日本はその経営のために満州に進出したが、もう1つ理由がある。
なぜ日本は海外に進出したのか。カズレーザーは「日本経済をよくする方法、領土を取るしかなかった」などとコメント。特に1930年代の初め、世界恐慌のあおりで本当に深刻な不況「昭和恐慌」だった。
昭和恐慌と言われた日本の大不況では企業の倒産が相次ぎ、失業者が急増。特に農家では稼ぎがなく、食事すらまともにできない子どもが増え、どうしようもなくなった家庭では娘の身売りをした。立て直すため、石炭や鉄鉱石など資源がたくさんある満州に進出。大豆、木材も豊富で資源がない日本にとっては宝の山だった。第一次大戦後、世界的に侵略目的の戦争は禁止されていたので表向きは鉄道経営という形で資源が豊富な満州に進出し、不況を抜け出そうと考えた。しかしその後、満州の支配を巡って日中の緊張が高まり、1931年に南満州鉄道の爆破事件が起きる。鉄道警備のためにいた満州専属部隊「関東軍」がこの事件をきっかけに軍事行動を開始。約5カ月で満州を制圧したのが満州事変。中国からの攻撃で始まったはずだったが、関東軍が爆破しておいて中国の仕業だと言って中国を攻撃するためにやっていた謀略だということが戦後になってからわかる。関東軍は独断で満州全域を占領するまでに至った。1932年、日本は満州国を建国。軍事的に占領し支配したのに、なぜ新しい国としたのか。浮所飛貴は「日本のせいじゃないようにしようとした」、谷まりあは「世界的な見られ方を気にして別に作った」などとコメント。日本のものにしたら世界的な批判を受けるので「満州の人たちが作った国」という理屈にして、満州国という国を作らせた。しかし世界の国からみると「実際は日本の侵略だろ!」と言って国際連盟の中で日本が孤立。
1932年に日本は満州国を建国し、世界中から「侵略だ」と非難され孤立していた。ドイツでは1933年にヒトラー首相のナチス政権が誕生し、軍事力を強化するため国際連盟を脱退。ドイツと日本はソ連を警戒し、1936年に手を組んだ。1937年に日中戦争が開戦したがアメリカやイギリス、フランスソ連が中国の後ろ盾になったため、日本側では欧米への不満が高まっていった。1939年、ドイツがポーランドに侵攻。その2日後にイギリスとフランスがドイツに宣戦布告をし、ヨーロッパ全土が戦場になっていった。日中戦争で石油が足らなくなった日本は、資源が豊富な東南アジアの国々に目をつけた。1940年ドイツはフランスを占領し、ヨーロッパの国々を次々と支配下に置いていった。日本は欧米の目が届かない今がチャンスと、東南アジアへと進出していった。1940年、日独伊三国同盟を締結。当時のアメリカはヨーロッパの戦争と日中戦争にほとんど参加せず、武器の支援はしていたがあくまでも中立の立場を取っていた。当時日本とアメリカは貿易では良好な関係を保っていたが、日本が東南アジアに進出するとアメリカは経済制裁を行った。日本は資源を求めてさらにフランス領南部インドシナに進出し、日米関係が一気に悪化していった。日本はアメリカとの戦争を決断し、第二次世界大戦へと発展していった。開戦のきっかけとして真珠湾攻撃がよく知られているが、実はその2時間ほど前に日本はイギリス領のマレー半島に上陸作戦を仕掛けていた。先制攻撃で早めに終わらせようと考えていた日本だが宣戦布告が遅れたため「奇襲攻撃」と受け止められ、アメリカの日本への戦意を強める結果となった。宣戦布告が遅れたのは、暗号電報の翻訳が遅れたためだという。
日本とアメリカとの戦争を「太平洋戦争」というが、当時の日本は欧米の植民地支配からアジアを解放する「大東亜戦争」と呼んでいた。敗戦後に連合国軍によって「太平洋戦争」とされたが、現在は多くの専門家が「アジア・太平洋戦争」と呼んでいる。1942年のミッドウェー海戦で日本は主力空母を失い、戦争の主導権はアメリカに渡った。1944年にサイパン島を奪われ、B29爆撃機の本土空襲が始まった。この頃日本軍は本土決戦を想定し、国民総動員体制を強化し一般の人々に竹やりによる訓練をさせていた。8年間続いた戦争の終わりが玉音放送によって全国に知らされ、1945年9月に日本は降伏文書に調印し第二次世界大戦は終結した。しかし東南アジアの密林や孤島にいた日本軍の兵士の一部は、終戦を知らずに任務を続行した。大きなニュースになったのは1972年に帰国した横井庄一と、1974年に帰国した小野田寛郎。小野田の場合はかつての上官がフィリピンに出向き、命令解除伝達を行うまで帰国しようとはしなかった。
1945年に第二次世界大戦は終結したが、超大国の対立が始まった。約40年続いたアメリカとソ連による主導権争いで、「東西冷戦」と呼ばれた。東は当時のロシアを中心に15の共和国が集まってできたソ連で、西はアメリカのこと。アメリカとソ連は直接には戦わなかったが、朝鮮戦争やベトナム戦争、アンゴラ内戦、モザンピーク内戦などあちこちで代理戦争が続いた。東西冷戦の対立は資本主義と社会主義の対立で、世界の主導権をかけた陣取り合戦が行われた。さらに核兵器を大量に持ち威嚇しあい、莫大な予算を使い軍拡競争を行っていた。しかし1980年代にソ連の経済が悪化し、自由がないことへの反発もありソ連が崩壊した。ソ連崩壊でロシア連邦が誕生し、ウクライナはソ連から独立した。1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一された。1989年12月のマルタ会談で、米ソ首脳が冷戦の終結を宣言した。冷戦が終わって世界は平和になるかと思われたが、米ソの睨みがきなくなり争いが頻発するようになった。
今年は戦後80年の節目の年。終戦の日、日本では犠牲者を追悼し平和を認識する雰囲気になる。アメリカの終戦日は9月2日も9月初旬は「労働者の日」という印象。第二次世界大戦は完全勝利したため思い入れがない人も多い。ニューヨークには空母イントレピッドが展示されている。日本の戦艦「武蔵」「大和」と戦い撃沈に繋げたという勝利の象徴。博物館として内部が公開され観光名所となっている。アメリカの原爆投下について様々な声を紹介した。
原爆投下直後の1945年のアメリカの世論調査(出典:ギャラップ)では原爆の使用について支持するが85%、支持しないが10%。2025年は正当化できる35%、正当化できない31%、分からない33%(出典:ビューリサーチセンター)。トランプ大統領は今年6月米軍によるイラン攻撃について「広島や長崎を例に出したくはないが本質的に同じ事だ、アメリカの攻撃が戦争を終わらせた」と発言した。
戦勝国イギリスの終戦の日はお祝いムード。終戦の日はドイツが降伏した5月8日で各地でパーティーが開催され近所の人たちが料理、酒を持ち寄り勝利を祝い犠牲者を追悼する。終戦80年の今年は国をあげての祝賀イベントを開催。軍事パレード、航空ショーも行われた。
第2次世界大戦ではイギリス・ロンドンがドイツ軍の攻撃により空襲で焼け野原になった。そのためドイツに勝った喜びが大きい。英国が発祥と言われる指ポーズ「ピース」は平和の象徴ではなく「敵に勝つ」というVサイン。イギリス・チャーチル首相(当時)が広めた。1960年代にアメリカがベトナム戦争に参加。反戦運動の勝利を目指すVサインが平和の象徴となった。