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「南満州鉄道」 のテレビ露出情報

今年は戦後80年、忘れてはいけない第二次世界大戦のことを日本人なら知っておこう。連合国と枢軸国という2つのグループに分かれ55カ国が参戦した第二次世界大戦で、日本はなぜ世界を相手に戦争をしたのか。都築拓紀は「仲間を助けるために立ち上がった」、浮所飛貴は「真珠湾攻撃から本格的に第二次世界大戦に参加」などとコメント。
第二次世界大戦はどう始まってどう終わったのか。日本が開国してから初めて世界と戦ったのは何戦争か問われた深田竜生は「僕の学校でそれは習ってない」、片寄涼太は「日清戦争」と回答。明治27年の日清戦争後、10年ごとに大きな戦争を行い、いずれも勝利を収めた。第一次世界大戦が終わったのが1918年で、それからおよそ20年後に第二次世界大戦が始まる。日本が世界と戦うことになったきっかけと言われる場所を確認。当時は中華民国の一部。谷まりあは「満州?」と回答。中国東北部のことは満州と呼ばれ、ここを通っていた鉄道「南満州鉄道」の経営権は日露戦争の勝利でロシアから獲得。日本はその経営のために満州に進出したが、もう1つ理由がある。
なぜ日本は海外に進出したのか。カズレーザーは「日本経済をよくする方法、領土を取るしかなかった」などとコメント。特に1930年代の初め、世界恐慌のあおりで本当に深刻な不況「昭和恐慌」だった。
昭和恐慌と言われた日本の大不況では企業の倒産が相次ぎ、失業者が急増。特に農家では稼ぎがなく、食事すらまともにできない子どもが増え、どうしようもなくなった家庭では娘の身売りをした。立て直すため、石炭や鉄鉱石など資源がたくさんある満州に進出。大豆、木材も豊富で資源がない日本にとっては宝の山だった。第一次大戦後、世界的に侵略目的の戦争は禁止されていたので表向きは鉄道経営という形で資源が豊富な満州に進出し、不況を抜け出そうと考えた。しかしその後、満州の支配を巡って日中の緊張が高まり、1931年に南満州鉄道の爆破事件が起きる。鉄道警備のためにいた満州専属部隊「関東軍」がこの事件をきっかけに軍事行動を開始。約5カ月で満州を制圧したのが満州事変。中国からの攻撃で始まったはずだったが、関東軍が爆破しておいて中国の仕業だと言って中国を攻撃するためにやっていた謀略だということが戦後になってからわかる。関東軍は独断で満州全域を占領するまでに至った。1932年、日本は満州国を建国。軍事的に占領し支配したのに、なぜ新しい国としたのか。浮所飛貴は「日本のせいじゃないようにしようとした」、谷まりあは「世界的な見られ方を気にして別に作った」などとコメント。日本のものにしたら世界的な批判を受けるので「満州の人たちが作った国」という理屈にして、満州国という国を作らせた。しかし世界の国からみると「実際は日本の侵略だろ!」と言って国際連盟の中で日本が孤立。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月24日放送 20:15 - 20:42 NHK総合
熱談プレイバック新幹線 誕生物語
大正14年、現在のJRグループの前身・鉄道省に入省した島秀雄。29歳の若さで蒸気機関車の設計主任となった秀雄が昭和10年に手掛けたのがD51形蒸気機関車。最高時速は85キロ。その後、D51は1115両が製造され、SLの傑作として今なお語り継がれている。この頃、輸送量は増え続ける一方。いずれ限界に達するのは明らかだった。そこで新たな路線をつくる計画が立ち上がる[…続きを読む]

2025年2月11日放送 13:05 - 14:18 NHK総合
カラーでよみがえる映像の世紀(カラーでよみがえる映像の世紀)
アメリカへの移民を乗せた船は、エリス島へと向かった。第一次世界大戦が終わると、ヨーロッパからアメリカへの移民は急増した。移民たちは、エリス島でアメリカに中世を誓い、入国検査に合格して初めてマンハッタンへ渡ることができた。
1919年春、第一次大戦が終わって半年、マンハッタンの目抜き通りでは連日のようにヨーロッパ大陸から帰還した兵士たちの凱旋パレードが続いて[…続きを読む]

2025年1月28日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
熊本県熊本市から御池理史さん72歳がお宝「仇英と文徴明の合作」を出品。中国明時代の画家、仇英と文徴明の作品で世界的に高く評価されており、近年のオークションでは億を超える高値で落札されている。仇英の生没年は不詳だが、16世紀前半に活躍したとされる。元々は漆職人だったが、画家の周臣に弟子入りし、職業画家となった。文徴明は1470年の生まれで、千字文を1日10回書[…続きを読む]

2024年12月29日放送 1:02 - 1:47 NHK総合
ファミリーヒストリー峰竜太
峰竜太(本名:下嶋清志)は代々酒屋を営む下嶋家の四男として生まれた。峰にとって酒屋”さかや”は事務所の名前に使うほど思い入れのある屋号。まずは酒屋を始めたという曽祖父・松次郎の足跡を辿った。松次郎が生まれたのは江戸末期。村でも豊かな庄屋。23歳になった松次郎は次男だったため本家を離れて分家して自分の家を持つ。松次郎は酒屋を開き、今は峰の兄が受け継いでいる。そ[…続きを読む]

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