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「東條英機総理」 のテレビ露出情報

1932年に日本は満州国を建国し、世界中から「侵略だ」と非難され孤立していた。ドイツでは1933年にヒトラー首相のナチス政権が誕生し、軍事力を強化するため国際連盟を脱退。ドイツと日本はソ連を警戒し、1936年に手を組んだ。1937年に日中戦争が開戦したがアメリカやイギリス、フランスソ連が中国の後ろ盾になったため、日本側では欧米への不満が高まっていった。1939年、ドイツがポーランドに侵攻。その2日後にイギリスとフランスがドイツに宣戦布告をし、ヨーロッパ全土が戦場になっていった。日中戦争で石油が足らなくなった日本は、資源が豊富な東南アジアの国々に目をつけた。1940年ドイツはフランスを占領し、ヨーロッパの国々を次々と支配下に置いていった。日本は欧米の目が届かない今がチャンスと、東南アジアへと進出していった。1940年、日独伊三国同盟を締結。当時のアメリカはヨーロッパの戦争と日中戦争にほとんど参加せず、武器の支援はしていたがあくまでも中立の立場を取っていた。当時日本とアメリカは貿易では良好な関係を保っていたが、日本が東南アジアに進出するとアメリカは経済制裁を行った。日本は資源を求めてさらにフランス領南部インドシナに進出し、日米関係が一気に悪化していった。日本はアメリカとの戦争を決断し、第二次世界大戦へと発展していった。開戦のきっかけとして真珠湾攻撃がよく知られているが、実はその2時間ほど前に日本はイギリス領のマレー半島に上陸作戦を仕掛けていた。先制攻撃で早めに終わらせようと考えていた日本だが宣戦布告が遅れたため「奇襲攻撃」と受け止められ、アメリカの日本への戦意を強める結果となった。宣戦布告が遅れたのは、暗号電報の翻訳が遅れたためだという。
日本とアメリカとの戦争を「太平洋戦争」というが、当時の日本は欧米の植民地支配からアジアを解放する「大東亜戦争」と呼んでいた。敗戦後に連合国軍によって「太平洋戦争」とされたが、現在は多くの専門家が「アジア・太平洋戦争」と呼んでいる。1942年のミッドウェー海戦で日本は主力空母を失い、戦争の主導権はアメリカに渡った。1944年にサイパン島を奪われ、B29爆撃機の本土空襲が始まった。この頃日本軍は本土決戦を想定し、国民総動員体制を強化し一般の人々に竹やりによる訓練をさせていた。8年間続いた戦争の終わりが玉音放送によって全国に知らされ、1945年9月に日本は降伏文書に調印し第二次世界大戦は終結した。しかし東南アジアの密林や孤島にいた日本軍の兵士の一部は、終戦を知らずに任務を続行した。大きなニュースになったのは1972年に帰国した横井庄一と、1974年に帰国した小野田寛郎。小野田の場合はかつての上官がフィリピンに出向き、命令解除伝達を行うまで帰国しようとはしなかった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月24日放送 22:30 - 23:15 NHK総合
歴史探偵日本人と選挙
政府が翼賛選挙を発表した1942年。当時の内閣総理大臣は東條英機で、中国との戦争が泥沼化していた。アメリカとも開戦しており、さらに戦争が長引くことが予想された。そこで議会全体を掌握するために、政府に協力的でない人物を洗い出して推薦候補を選別していった。推薦されなかった候補は厳しい戦いを強いられたという。そこで非公認だった齋藤隆夫の選挙の様子について、齋藤隆夫[…続きを読む]

2025年9月22日放送 9:55 - 10:25 テレビ朝日
じゅん散歩(じゅん散歩)
高田純次は荻外荘公園を訪れた。荻外荘は伊東忠太が設計し1927年に完成した国の史跡で、1937年から近衛文麿が9年暮らした。去年12月から一般公開された。高田純次は日独伊三国同盟につながる荻窪会談が行われた客間などを見学した。

2025年8月25日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
1930年に選挙で勝利したのは第27代首相の浜口雄幸。5年前に普通選挙が成立し、有権者の数は4倍になり、議員たちは支持獲得に躍起になった。当時は政治と国民の橋渡しになっていたのは新聞だ。当時の日本は世界恐慌による不況のただ中だったので国家予算の大きな比重だった軍事費を抑えたいという思いがあったという。
しかし1931年に満州事変が起こり、首相の若槻禮次郎が[…続きを読む]

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