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「アルジャントゥウイユ(フランス)」 のテレビ露出情報

19世紀のパリでは美術界が大きく揺れ動いていた。それは写真の登場でそれまでに見たままのを描いても写真に勝てない。画家たちは写真を超える新しい表現方法を求めた。移ろう自然や光の一瞬をキャンパスの一瞬に捉えようとした印象派や、強烈な色彩とフォルムで心象風景を突きつけたポスト印象が登場。そして20世紀初頭のパリで注目され始めたのはスペイン人画家のパブロ・ピカソ。その絵画の常識を破ろうともがいていた。ピカソが人目で虜になったのは印象派の画家のポール・セザンヌの代表作のりんごとオレンジ
。普通の静物画のようだがよく観るとバランスが変。上の方にある器は横から見て描いているが、下の皿はやや上から描いている。さらに真ん中のりんごは真上からの図。自分の感じたありのままの描くためにこうなったという。それまでの絵画は一つの視点からみて描いていたが、セザンヌは、多くの視点から観た像を一つにしようと思いついた。その自由な発想にピカソは衝撃をうけた。その頃時代を変えるきっかけになった一枚を描いた。その作品は1907年の作品のアヴィニョンの娘たち。特徴的なのはその顔。半分は正面から、半分は横からみた視点で描かれ一つの顔になっている。背中をみせる娘は顔だけこちらを向き、多視点の視点をみることができる。同じ頃に、セザンヌに衝撃をうけたもう一人の画家がいた。ジョルジュ・ブラックは印象派が活躍したフランスのアルジャントゥイユに生まれてパリに出て画家を目指していた。ある日ブラックは友人に連れられてピカソが住んでいた芸術形のアパートの洗濯船を訪ねた。そこであのアヴィニョンの娘たちをみて衝撃を受けた。
ピカソとその考えに共鳴したブラックは絵画の歴史に大革命を起こすことになる。ブラックは様々な視点から目の前の風景をみつめレスタックの高架橋を描いた。しかしまるで立方体のはこのようだと痛烈に批判されたがこれがキュビズムの語源になった。一方でピカソの絵は描く対象をあまりに細かな面に分解することで元の姿すら判別できないほどの変化していく。誰に何を言われても意に介さない二人の挑戦は過激になっていった。ピカソの描いたギターを弾く人物画、ブラックが工場を描いた風景画は何が描いているかわからないという状況にキュビズムの本質があると国立西洋美術館の田中正之は答えた。あまりに理屈で描いた結果、何を描いても同じような絵が生まれてしまうことに。ブラックが描いたギターを持つ女性は、板を貼り付けたような表現などが生まれた。コラージュは様々な素材を貼り付けて頭に浮かんだ通りに再構築していく表現のこと。世界で初めてやったのがこの2人だという。2人がとらえたかったのは描く対象の本質のようなもの。そのために本質を表現できるなら何でも使ったという。1914年には第一次世界大戦が始まるとブラックは戦地に向かい、二人の挑戦は10年で終わった。キュビズムは様々な分野へどんどん透していく。フランスのパリの郊外のサヴォワ邸は20世紀建築の傑作がある。吹き抜けのピロティと、連続した窓が特徴でモダニズムの極地と言われている。内部にはフロアを結ぶ優美なスロープも。作者のル・コルビュジエは現代建築の基礎を築いた巨匠。国立西洋美術館もル・コルビュジエが設計した。キュビズムに影響を受けた部分が常設展の入り口のホールの2階にあるスロープ。そこから作品をみると目の前の展示風景が変化していくのがわかる。

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