9歳のとき左足に骨肉腫が見つかった小田凱人選手は、10歳のとき国枝慎吾さんのプレーを見たことがきっかけで車いすテニスを始め15歳でプロに転向。史上最年少で全仏オープン優勝など、数々の記録を打ち立てた。国枝さんの引退後、次世代を担うエースにまで成長を遂げた。パリパラリンピックではランキング1位のA.ヒューエットとの激闘を制し、金メダルを獲得した。柔軟な肩甲骨周りによって生み出されているのが高速サーブ。決勝では時速165キロのサーブを打った。座面や背もたれなど主に6か所にこだわった特注の車いすは、10回以上試作や改良を繰り返し約1年ほどかけて完成した。