岸らは葉わさびやヨモギ、ニラなどを揃え、激臭の無農薬農薬を作り、稲にふりかけていった。イネミズゾウムシは風に乗って飛ばされてきたりするという。篠竹が生えて適度な風よけになっていたが、開拓の初日に景観をよくしようと松岡昌宏が刈ってしまった。岸と太一は生い茂っていた篠竹などを使い、風よけのすだれを作り設置した。4枚目の棚田の水が抜けていた原因は土。赤土のため水が抜けたという。太一らは作ったため池から竹でパイプを作り水を流し続けることにした。
6月下旬、城島と森本慎太郎が棚田にやって来た。
6月下旬、城島と森本慎太郎が棚田にやって来た。