坪井直さんは教員を定年退職したあと、被爆者団体に入り核兵器の廃絶を世界に訴え始めた。被爆の影響による重い貧血やがん、心臓病などを抱え満身創痍で活動を続けた。18年前、アメリカと改めて向き合うことになった。アメリカで原爆を投下した爆撃機が展示され、坪井さんは現地を訪れた。原爆がもたらした死については触れられていなかった。通訳を務めていた小倉さんはその時の坪井さんについていつも自身にあふれた話しをする感じと違い、ため息をついたり悲しそうにしていたと話した。坪井さんは“戦争で傷ついたのはアメリカ人も同じだ”と声をかけられ、自らの怒りと向き合った。憎しみを乗り越えなければ平和はないと語った。