- 出演者
- 井上裕貴 保里小百合
先月、96歳で亡くなった被爆者・坪井直さんは生涯をかけて核兵器廃絶を訴え、その言葉は世界中の人びちを動かした。坪井さんは1945年、被爆し瀕死の重傷を負った。時を経てアメリカ大統領との対面を果たした際には笑顔で語りかけた。
被爆者・坪井直さんの息子の健太さんが直さんについて、「最期までなにかの折に原爆はだめなんだと言い続けていた、誰に言うでもなく急に話したりしていた。どこか心の中にずっとその思いがあったと思う」と語った。
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- 坪井直広島県広島県被爆者団体協議会
記者は坪井直さんの取材を続けてきた。被爆当時坪井さんは20歳、被爆から3時間後の姿が写真に残っていた。坪井直さんは当時について、やけどで歩くことも立つことも出来なかったと語る。生死をさまよい、目覚めた際にはアメリカへの憎しみを訴えたという。戦後、坪井さんは中学校教員として働いた。学校で原爆で亡くなった児童の名簿を見つけた。元同僚は坪井さんが名前以外ほとんど空欄だったことに衝撃を受けていたと話した。
坪井直さんは教員を定年退職したあと、被爆者団体に入り核兵器の廃絶を世界に訴え始めた。被爆の影響による重い貧血やがん、心臓病などを抱え満身創痍で活動を続けた。18年前、アメリカと改めて向き合うことになった。アメリカで原爆を投下した爆撃機が展示され、坪井さんは現地を訪れた。原爆がもたらした死については触れられていなかった。通訳を務めていた小倉さんはその時の坪井さんについていつも自身にあふれた話しをする感じと違い、ため息をついたり悲しそうにしていたと話した。坪井さんは“戦争で傷ついたのはアメリカ人も同じだ”と声をかけられ、自らの怒りと向き合った。憎しみを乗り越えなければ平和はないと語った。
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- エノラ・ゲイワシントン(アメリカ)坪井直
2016年、アメリカ大統領が広島を訪れることになり、坪井さんは多面する被爆者の代表となった。坪井さんは大統領に謝罪は期待していないと語ったいたが、息子の健太さんは坪井さんが葛藤していたことを明かした。「父もさんざん苦しんできたけどどれじゃ世の中良くならないと思って、父も苦しかったんだと思う実際には」など語った。坪井さんは5月、アメリカ大統領と対面し「被爆者としては原爆投下は人類の間違ったことの一つ、それを乗り越えて我々は未来へいかなくてはならない」など思いを伝えた。
その後、核兵器廃絶への道筋は見えなくなっていく。次の大統領は各戦力の強化に意欲を示すなど逆行する動きが加速した。一方で被爆者は高齢化し、当時を語れる人も少なくなっていた。晩年、坪井さんが力を注いでいたのは原爆資料館のリニューアル。坪井さんの意見を参考に被爆者の遺品や写真をエピソードとともに伝える展示に変えたとのこと。
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- 広島平和記念資料館
坪井さんの遺影の傍らには座右の銘「ネバーギブアップ」の言葉が置かれている。健太さんは「諦めてはいけない、そこに常に挑戦し続けなければいけないというのでネバーギブアップという言葉がぴったりはまったんだと思う」と語った。
坪井直さんについて取材したディレクターが語った。常に前向きな一方、取材を始めて20年以上経って初めて被爆者として背負ってきた重荷について語ったという。思い合う女性との仲を反対され心中をはかったこともあったとのこと。坪井さんの中には原爆で亡くなった人のことが特にあった。憎しみの感情は消せないが、亡くなった人たちの核兵器廃絶の願いを実現するために自分のできる最善を考えた結果、感情を理性でおさえる決断をしたのだろうと話した。また継承について、被爆者に直接話を聴くことは難しくなっているが残された資料から学ぶことができると話した。
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