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「エリス」 のテレビ露出情報

音楽部門受賞者は、世界的ジャズ・トランペッター、ウィントン・マルサリスさん。完璧と絶賛されるトランペットの演奏技術。作曲家としても多くの名曲を生み出してきた。アメリカ音楽界最高の栄誉とされるグラミー賞を22歳で初受賞すると、これまで9回も獲得。そんなマルサリスさんを10代の頃から間近で見てきた1人の日本人が、日本を代表するジャズ・ジャーナリストの小川隆夫さんだ。ジャズは、奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人の音楽とヨーロッパの音楽が融合して発展したといわれている。マルサリスさん自身も差別にあっていた。
マルサリスさんが生まれたのは、1961年のアメリカ南部の街。教会などでは黒人は白人と離れて座らせられるような地域だった。ジャズ・ミュージシャンの父の影響で、トランペットを始めたのは6歳の時。兄・ブランフォードさんは、弟が受けた差別を「ウィントンが最初に入ったオーケストラでは、オーボエ奏者が全員わざとどこか音を外して吹いていた。ただ黒人を追い出したいがために。だがウィントンはそういう状況に置かれれば置かれるほど燃えるタイプなんだ」と証言している。黒人に対する日常的な差別。マルサリスさんはやがて1つの夢を抱く。世界中から人種を超えトップミュージシャンが集まるニューヨーク、そこで音楽を学びたい。マルサリスさんは血のにじむような練習を続けた。その甲斐あって、17歳でジュリアード音楽院に入学。すると、大きな転機が。ジャズクラブで飛び入りの演奏をすると、ある大物の目にとまる。ジャズの名ドラマー、アート・ブレイキー。彼のバンドの一員となり、18歳にしてプロデビューを果たす。その後は数々の有名アーティストと共演。確かなテクニックと類まれなる表現力が高く評価され、22歳でグラミー賞を受賞。ジャズ界を牽引するトランペッターとしての地位を確立していく。しかし、1992年、アメリカでは黒人差別がきっかけとなり暴動が勃発、60人以上の死者が出た。その5年後、マルサリスさんが世に問うたアルバムのジャケットは、血塗られた星条旗。歌詞で表現したのは、かつての黒人奴隷の生活。それは悲しみに満ちたものだった。人種差別に正面から向き合ったこのアルバムは、ジャーナリズム界で最も権威あるとされるピューリッツァー賞の音楽部門を受賞。ジャズ界初の偉業だった。
今回、授賞式のために来日したマルサリスさん。20年ぶりに再会した小川さんから「当時よく“品格”という言葉を使っていた」と質問を受けた。怒りのうちにも敬意を保つ。小川さんは、若き日のマルサリスが忘れられない。酒やドラッグに溺れ、音楽に怒りをぶちまけても、憎しみの連鎖が分断をさらに広がるだけ。だからこそ、マルサリスさんは品格を保とうと努力し続けてきた。授賞式が行われた10月18日は、マルサリスさんの62歳の誕生日だった。分断や差別がなくならないこの世界で、それでも音楽の力を信じて演奏するその姿に、惜しみない拍手が贈られた。

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