この日、社員の家族が会社にやってきた。始まったのは職場の見学会だったが、家族をおもてなしするのは湊や役員たち。こうして社員にざっくばらんに接している湊だが、社長になった2年前は様子がまったく違っていたという。頑なに変わろうとしなかった大企業だったというイトーキ。湊は生まれながらにして先天性の重い病気を患い医師から絶望的な宣告を受けていた。もらった命を世の中の役に立てようと猛勉強。東京大学からNTTに就職しアメリカのIT企業のオラクルで働いた。そこでは四半期ごとに結果を出さないといけないという状況で9ヶ月連続で数字をミスすると退場になってしまうような場所だという。実力主義の中で日本法人の副社長にまで上り詰めた。するとある日ヘッドハンターから声がかかったがそれがイトーキだった。イトーキは1890年に伊藤喜十郎が創業した。その名前からイトーキに。はじめは事務用品や輸入品を扱う雑貨店で、日本で始めてホチキスを輸入し、イスは木製が当たり前の時代にスチール家具に目をつけ販売し、人がやってないことに挑戦する旺盛な開拓精神を持ち続けようだった。しかし時を経てイトーキの企業風土は様変わり。ヒット商品が作れなくなり、2019年からは2年連続の赤字でまさにどん底状態に。開拓精神は姿を消し、他社の後追い製品を作る会社になってしまっていたという。
八方塞がりの状態で白はの矢をたてられたのが湊。ITを活用して現状を打開してほしいと声がかかった。入社早々に工場を視察すると工員たちに個人パソコンがなく7人で1台を共有しているために順番待ちの列ができるほどだった。メールもろくに見ることができず、生産スケジュールは朝礼で手渡し。そこで湊はすぐにタブレットを支給しようと提案したが現場からは、今までのやり方でいいと波風を立てるなが大方の意見だった。
八方塞がりの状態で白はの矢をたてられたのが湊。ITを活用して現状を打開してほしいと声がかかった。入社早々に工場を視察すると工員たちに個人パソコンがなく7人で1台を共有しているために順番待ちの列ができるほどだった。メールもろくに見ることができず、生産スケジュールは朝礼で手渡し。そこで湊はすぐにタブレットを支給しようと提案したが現場からは、今までのやり方でいいと波風を立てるなが大方の意見だった。