史料には家康が萬国絵図屏風に描かれた世界地図を前に海外に関心を寄せていた様子が記されている。地図の左右には当時世界にいるとされた42の民族が、そしてもう一隻残されていたセットの屏風には世界の覇権を争う国王たちの姿や世界の名だたる都市が描かれていた。オランダの地図製作者だったブラウ家が1607年に出版した最先端の地図が屏風のもとになっていた。家康が屏風を眺めたのはオランダの地図が完成してから4年後のことだった。地図は家康側から依頼した可能性が高いと考えられている。
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