2008年春、工場の脇にあるプレハブ小屋で枚田たちの電気開発が始まった。作戦はまずセルを開発。それを192個繋ぎ、鋼のパックに収容するもの。開発が始まって4か月。生産技術リーダの岸田郁夫が電池の開発状況を聞きにやって来た。枚田はデータを取っている途中で材料も作り方もわからないと答えた。この答えに岸田は怒りをあらわにした。岸田の生産技術部は量産化の納期を守ることが最重要課題だった。遺された期間は2年半しかない。そのため開発と同時並行で工場も作る必要があった。岸田は独断で製造工程表を作り始めた。工程表は開発の意見を無視したものだったのでこれに枚田は激怒した。この険悪な2人に挟まれたので電池開発パック担当の平井敏郎だった。さらに開発中に電池が燃える事故が頻発した。リチウムイオン電池は材料や作り方を誤ると大きな爆発を起こしてしまう。発売まで残り1年半、3人は窮地に立たされていた。