1970年~1979年の名曲を紹介。1970年は皆川おさむ「黒ネコのタンゴ」。230万枚の大ヒットを記録。同年には大阪万博も開催。
1971年は堺正章「さらば恋人」。元ザ・スパイダース 堺正章のソロデビュー曲。日本レコード大賞 大衆賞を受賞。桑田佳祐など40人以上のアーティストがカバー。
1972年は小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」。当時、小柳は「ずっと歌いたいからお嫁にはいかない」と宣言。作曲家の平尾昌晃が「歌の中で結婚させよう」とこの曲が誕生。
1973年はちあきなおみ「喝采」。「恋人を失った悲しみ」を歌った曲。日本レコード大賞を受賞。発売後3ヶ月での受賞は史上最短記録。
1974年はフィンガー5「学園天国」。オイルショックの真っ只中、沖縄出身の兄妹グループが大ブームに。稼いだお金で兄弟全員アメリカへ留学。
1975年は布施明「シクラメンのかほり」。日本レコード大賞受賞。大ヒットの影響で当時なじみのなかったシクラメンの需要が増大した。
1976年は子門真人「およげ!たいやきくん」。歴代1位となる453万枚の大ヒット。
1977年はピンク・レディー「渚のシンドバッド」。ミリオンヒット曲で年間シングルランキングも1位。シングル総売り上げ1100万枚以上の昭和のモンスターアイドル。77年度から79年度の3年間でシングル9曲連続1位を記録。
1978年はピンク・レディー「サウスポー」。前年に巨人・王貞治選手がホームラン世界新記録を樹立。作詞家の阿久悠は左投手に三振した王選手をヒントに書いた。
1979年はゴダイゴ「ガンダーラ」。バンド名の由来はリーダーのミッキー吉野が後醍醐天皇を好きだったから。堺正章主演のドラマ「西遊記」のエンディング曲で85万枚の大ヒット。
1971年は堺正章「さらば恋人」。元ザ・スパイダース 堺正章のソロデビュー曲。日本レコード大賞 大衆賞を受賞。桑田佳祐など40人以上のアーティストがカバー。
1972年は小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」。当時、小柳は「ずっと歌いたいからお嫁にはいかない」と宣言。作曲家の平尾昌晃が「歌の中で結婚させよう」とこの曲が誕生。
1973年はちあきなおみ「喝采」。「恋人を失った悲しみ」を歌った曲。日本レコード大賞を受賞。発売後3ヶ月での受賞は史上最短記録。
1974年はフィンガー5「学園天国」。オイルショックの真っ只中、沖縄出身の兄妹グループが大ブームに。稼いだお金で兄弟全員アメリカへ留学。
1975年は布施明「シクラメンのかほり」。日本レコード大賞受賞。大ヒットの影響で当時なじみのなかったシクラメンの需要が増大した。
1976年は子門真人「およげ!たいやきくん」。歴代1位となる453万枚の大ヒット。
1977年はピンク・レディー「渚のシンドバッド」。ミリオンヒット曲で年間シングルランキングも1位。シングル総売り上げ1100万枚以上の昭和のモンスターアイドル。77年度から79年度の3年間でシングル9曲連続1位を記録。
1978年はピンク・レディー「サウスポー」。前年に巨人・王貞治選手がホームラン世界新記録を樹立。作詞家の阿久悠は左投手に三振した王選手をヒントに書いた。
1979年はゴダイゴ「ガンダーラ」。バンド名の由来はリーダーのミッキー吉野が後醍醐天皇を好きだったから。堺正章主演のドラマ「西遊記」のエンディング曲で85万枚の大ヒット。
URL: http://godiego.net/