東日本大震災の津波で多くの大きな被害を受けた岩手県陸前高田市。海に突き出た広田半島 に「漂流ポスト」がある。管理人の赤川勇治さんは自らのセカンドハウスで趣味の日曜大工を活かしたガーデンカフェ「森の小舎」を営んでいた。震災後、カフェを訪れたお客さんたちの身の上話を聞くうちに震災で亡くなった人や行方不明となった人々などに宛てた手紙を受け付けることを思いついたという。2014年、「漂流ポスト3.11」を設置。管理人から返信などはなく預かった手紙は大切に保管される。
2015年、漂流ポストに手紙を送った清水和子さんのもとを番組が訪ねた。清水さんは震災当時仙台市内の病院で准看護師として働いていた。多忙を極め安否がわからなくなった娘家族をすぐに探せなかったことを悔やんでいる。初孫の楓太くんは小学校入学直前。瓦礫のしたからは清水さんが入学式用に買ってあげた靴が発見された。家は津波で流され消失。見つかったのは楓太くんのランドセルと靴だけ。楓太くんには弟が生まれる予定だった。予定日は2011年5月22日。8月には結婚式を挙げる予定だった娘家族は避難所へ避難していたが毛布を取りに帰宅したところ被災してしまった。准看護師の清水さんは正看護師の資格をとろうと一念発起し看護予備校へ通っている。看護師になることは娘の美香さんの夢でもあった。
仙台市の佐藤せつ子さんが漂流ポストへ初めて手紙を書いたのは震災の3年後。夫が還暦を迎えるはずだった6月14日を過ぎてから。夫の武敏さんは震災当時56歳。お見合い結婚の後、2人の子宝に恵まれ穏やかな日常を送っていた。武敏さんは宮城県の沿岸部の南三陸消防署に勤務し隊長を務めていた。震災当日は非番だったが、大きな揺れの後すぐに消防署へ。9人の仲間とともに殉職した。自宅も流され、せつ子さんは老後のために夫婦で買っていたマンションで一人暮らしをしている。
2015年、漂流ポストに手紙を送った清水和子さんのもとを番組が訪ねた。清水さんは震災当時仙台市内の病院で准看護師として働いていた。多忙を極め安否がわからなくなった娘家族をすぐに探せなかったことを悔やんでいる。初孫の楓太くんは小学校入学直前。瓦礫のしたからは清水さんが入学式用に買ってあげた靴が発見された。家は津波で流され消失。見つかったのは楓太くんのランドセルと靴だけ。楓太くんには弟が生まれる予定だった。予定日は2011年5月22日。8月には結婚式を挙げる予定だった娘家族は避難所へ避難していたが毛布を取りに帰宅したところ被災してしまった。准看護師の清水さんは正看護師の資格をとろうと一念発起し看護予備校へ通っている。看護師になることは娘の美香さんの夢でもあった。
仙台市の佐藤せつ子さんが漂流ポストへ初めて手紙を書いたのは震災の3年後。夫が還暦を迎えるはずだった6月14日を過ぎてから。夫の武敏さんは震災当時56歳。お見合い結婚の後、2人の子宝に恵まれ穏やかな日常を送っていた。武敏さんは宮城県の沿岸部の南三陸消防署に勤務し隊長を務めていた。震災当日は非番だったが、大きな揺れの後すぐに消防署へ。9人の仲間とともに殉職した。自宅も流され、せつ子さんは老後のために夫婦で買っていたマンションで一人暮らしをしている。
住所: 岩手県陸前高田市広田町赤坂角地159-2