2025年6月30日放送 1:25 - 2:20 日本テレビ

NNNドキュメント’25
「漂流POST〜逢いたい〜」

出演者
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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

(NNNドキュメント’25)
漂流POST〜逢いたい〜

東日本大震災の津波で多くの大きな被害を受けた岩手県陸前高田市。海に突き出た広田半島 に「漂流ポスト」がある。管理人の赤川勇治さんは自らのセカンドハウスで趣味の日曜大工を活かしたガーデンカフェ「森の小舎」を営んでいた。震災後、カフェを訪れたお客さんたちの身の上話を聞くうちに震災で亡くなった人や行方不明となった人々などに宛てた手紙を受け付けることを思いついたという。2014年、「漂流ポスト3.11」を設置。管理人から返信などはなく預かった手紙は大切に保管される。

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ガーデンカフェ森の小舎東日本大震災漂流ポスト3.11陸前高田市(岩手)

2015年、漂流ポストに手紙を送った清水和子さんのもとを番組が訪ねた。清水さんは震災当時仙台市内の病院で准看護師として働いていた。多忙を極め安否がわからなくなった娘家族をすぐに探せなかったことを悔やんでいる。初孫の楓太くんは小学校入学直前。瓦礫のしたからは清水さんが入学式用に買ってあげた靴が発見された。家は津波で流され消失。見つかったのは楓太くんのランドセルと靴だけ。楓太くんには弟が生まれる予定だった。予定日は2011年5月22日。8月には結婚式を挙げる予定だった娘家族は避難所へ避難していたが毛布を取りに帰宅したところ被災してしまった。准看護師の清水さんは正看護師の資格をとろうと一念発起し看護予備校へ通っている。看護師になることは娘の美香さんの夢でもあった。

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仙台市(宮城)東日本大震災石巻市(宮城)

仙台市の佐藤せつ子さんが漂流ポストへ初めて手紙を書いたのは震災の3年後。夫が還暦を迎えるはずだった6月14日を過ぎてから。夫の武敏さんは震災当時56歳。お見合い結婚の後、2人の子宝に恵まれ穏やかな日常を送っていた。武敏さんは宮城県の沿岸部の南三陸消防署に勤務し隊長を務めていた。震災当日は非番だったが、大きな揺れの後すぐに消防署へ。9人の仲間とともに殉職した。自宅も流され、せつ子さんは老後のために夫婦で買っていたマンションで一人暮らしをしている。

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仙台市(宮城)佐藤武敏南三陸消防署東日本大震災漂流ポスト3.11

佐藤せつ子さんは夫の武敏さんが消防署を定年退職したら2人でゆっくり旅行に行こうと話していた。漂流ポスト3.11へ手紙を投函することで気持ちを落ち着けていると話してくれた。

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佐藤武敏東日本大震災漂流ポスト3.11

2016年、広くその存在を知られるようになった漂流ポストのため閲覧用の小屋の建設が始まった。漂流ポストに宛てた手紙はいつからか全国から届くように。これまでに届いたのは1000通以上。震災の遺族などからだけでなく不慮の事故などで大切な人を亡くしてしまった人などからも手紙が届くようになった。

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ガーデンカフェ森の小舎東日本大震災漂流ポスト3.11陸前高田市(岩手)

60を過ぎてから正看護師を目指して勉強を始めた清水さんは2017年、国家試験に合格。試験に受かったことを娘家族に報告する手紙などを漂流ポストに投函している。

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仙台市(宮城)東日本大震災

岩手県の内陸部・奥州市。市内の老人ホーム「いこいの森」に赤川さんの母・末子さんが入院している。入院するまでは元気に過ごしていたが、コロナ禍で会えないでいるうちに認知症を発症。もっと母と向き合うことはできなかったかと今でも後悔している。横浜出身の赤川さんは27歳のとき岩手へ移住。仕事に追われる赤川さんを末子さんは献身的に支えてくれた。奥州市と陸前高田市の距離は70km。母のために老人ホームへ通いながら週の半分を漂流ポストの管理人として過ごしていた。

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奥州市(岩手)漂流ポスト3.11美楽会 いこいの森陸前高田市(岩手)

おととし10月、清水和子さんと佐藤せつ子さんが赤川さんのもとを訪ねた。赤川さんは2人を慈恩寺に案内。ここでは檀家が震災や先祖などを供養するお地蔵さんを立てている。震災の際は慈恩寺も床下まで水に浸かった。震災から4ヶ月間最大で80人の地域住民がここで避難生活を送った。赤川さんは毎年1年の間に漂流ポストへ届いた手紙を慈恩寺で供養している。手紙の供養を終えた3人は赤川さんのセカンドハウスで胸の内を語り合った。清水さんと佐藤さんの思いを聞き、改めて漂流ポストの役割に思いを馳せる赤川さん。母の介護と天秤にかけポストをなくすという選択肢はそう簡単には取れなかった。去年1月、赤川さんは漂流ポストを慈恩寺へ移動することを決断。住職も快くOKしてくれた。去年3月、漂流ポストは慈恩寺へ移転。この約8ヶ月後、赤川さんの母・末子さんは息を引き取った。

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慈恩寺東日本大震災漂流ポスト3.11陸前高田市(岩手)

震災から14年1か月のことし4月11日。佐藤せつ子さんは変わらず漂流ポストへ手紙を出していた。赤川さんはポストの移転後も変わらず様子を見に来ている。

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東日本大震災漂流ポスト3.11
(エンディング)
次回予告

「NNNドキュメント’25」の次回予告。

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