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オープニング映像。
自身のシベリア抑留の記憶を絵に描き残していた川田一一さん。川田さんは鎮魂と平和への祈りを絵筆に乗せ続け13年前に亡くなった。その絵筆を受け継いだ孫の画家・千田豊実さんに密着した。
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- 川田一一
香川県さぬき市で画家として活動する千田さんは東京の美大を卒業後、ドイツで活躍し、2009年から故郷の香川に拠点を移した。祖父の一一さんが存命の頃は2人並んでキャンバスに絵を描いていた。一一さんは中学生の豊実さんが絵を習う際、一緒に画材を買ったことをきっかけに絵画制作を開始。家族にも話してこなかったシベリア抑留の記憶を描いた。終戦後、ソ連軍の捕虜となった日本兵らが過酷な労働を強いられたシベリア抑留。57万人以上が連行され厳しい寒さや飢えにより約5万5000人が犠牲になった。旧満州で軍に属していた一一さんも1945年8月20日から3年余りの抑留生活を強いられた。すし詰めの貨車で送られた極寒の収容所、マイナス40度の中で課せられる炭坑での強制労働、粗末な食事など厳しい捕虜生活に苦しみ抜いた日々を送った。終戦から3年の1948年12月、一一さんはようやく帰国。祖国の地を踏んだ喜びもつかの間、当時は「抑留者は共産主義者」と差別された時代、一一さんは他のシベリア抑留者と同じく口を閉ざした。絵を始めた一一さんはこれまで封印していた記憶を絵筆に乗せシベリア抑留の絵画を制作。豊実さんも祖父の記憶を残そうと自らもシベリア抑留を描くことを決意。2009年から数回にわたって祖父と自らの作品を展示する展覧会を開催してきた。炭坑での強制労働の影響で肺を患っていた一一さんは2012年に他界。享年87歳、約30枚の作品を残した。晩年に一一さんが描いた作品のテーマは「鎮魂」。今もまだシベリアの大地に残されたままの同胞を思い、絵画の中だけでも祖国へ帰られるようにと願いを込めて描かれた。
戦後70年となった2015年、豊実さんは一一さんとの二人展に向けて作品制作を始めた。傍らにはシベリア抑留の資料。生前の一一さんから聞いた話も思い出しながら作品に向き合った。迎えた二人展で展示されたのは豊実さんの新作「シベリアで眠る人々」。シベリアの原生林を背景にそこに眠る人々の苦しみや悔恨を描いた。去年10月、豊実さんは12年ぶりに一一さんが使っていた絵筆を用いて作品作りを開始。シベリア抑留をテーマに作品を描き続ける中で経験していない者が描いてよいのかという葛藤を抱えていた豊実さんはある場所へ向かった。
ことし4月、豊実さんは京都・舞鶴を訪問。77年前、祖父・一一さんが故郷香川へ帰った港の桟橋を訪れた。語り部の会の仲井壽さんに自身の葛藤を伝えた豊実さんは、描いていいのかというのは日本側から見た葛藤でシベリアに残された人々は忘れないでほしいのではないかと助言を受けた。背中を押された豊実さんは新たな作品つくりに取り掛かった。
次回予告。