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「舞鶴港」 のテレビ露出情報

香川県さぬき市で画家として活動する千田さんは東京の美大を卒業後、ドイツで活躍し、2009年から故郷の香川に拠点を移した。祖父の一一さんが存命の頃は2人並んでキャンバスに絵を描いていた。一一さんは中学生の豊実さんが絵を習う際、一緒に画材を買ったことをきっかけに絵画制作を開始。家族にも話してこなかったシベリア抑留の記憶を描いた。終戦後、ソ連軍の捕虜となった日本兵らが過酷な労働を強いられたシベリア抑留。57万人以上が連行され厳しい寒さや飢えにより約5万5000人が犠牲になった。旧満州で軍に属していた一一さんも1945年8月20日から3年余りの抑留生活を強いられた。すし詰めの貨車で送られた極寒の収容所、マイナス40度の中で課せられる炭坑での強制労働、粗末な食事など厳しい捕虜生活に苦しみ抜いた日々を送った。終戦から3年の1948年12月、一一さんはようやく帰国。祖国の地を踏んだ喜びもつかの間、当時は「抑留者は共産主義者」と差別された時代、一一さんは他のシベリア抑留者と同じく口を閉ざした。絵を始めた一一さんはこれまで封印していた記憶を絵筆に乗せシベリア抑留の絵画を制作。豊実さんも祖父の記憶を残そうと自らもシベリア抑留を描くことを決意。2009年から数回にわたって祖父と自らの作品を展示する展覧会を開催してきた。炭坑での強制労働の影響で肺を患っていた一一さんは2012年に他界。享年87歳、約30枚の作品を残した。晩年に一一さんが描いた作品のテーマは「鎮魂」。今もまだシベリアの大地に残されたままの同胞を思い、絵画の中だけでも祖国へ帰られるようにと願いを込めて描かれた。
住所: 京都府舞鶴市

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月27日放送 11:00 - 11:45 テレビ朝日
皇室スペシャル皇室SP
小学生の時から先の大戦の歴史を学ばれていた秋篠宮家の長男・悠仁さまがことし2月12日、舞鶴市を訪問された。舞鶴市は、旧ソ連などによって抑留された約66万人が引き揚げ者として帰国した場所。舞鶴引揚記念館では、苦難の歴史にふれることができる。この記念館を訪問された悠仁さまは、語り部の話を聞かれた。
ことし3月3日、成年にあたり初の会見で、悠仁さまは「天皇皇后両[…続きを読む]

2025年3月29日放送 5:15 - 5:30 TBS
皇室アルバム(皇室アルバム)
2月12日、悠仁さまは京都・舞鶴引揚記念館においでになられた。終戦後、舞鶴港には旧満州やシベリアなどから66万人が帰還しており、記念館ではその歴史を伝える資料などを展示。展示資料などの解説を行っている高校生・大学生の語り部から説明を受けられた。舞鶴湾に復元された引揚桟橋も訪れ、平和への思いを新たにされた。
3月18日、悠仁さまは筑波大学附属高等学校を卒業。[…続きを読む]

2025年3月18日放送 0:30 - 1:00 テレビ東京
なつカルマの「人生に訊け!」我が人生一番のパンチライン人生の先輩たちにひたすら人生訓を訊く番組
103歳ホリエヤタロウさんは人生で一番美味しかった話に戦争で関東軍の援護のために満州へ向かったという。しかしすでに到着した時にはソ連の侵攻が始まっていたという。そのまま捕虜となりシベリアに送られた。5年間シベリアにいたが20代がそれ終わってしまったという。舞鶴港にはいり夕飯を食べた時に味噌汁やたくあんなどを10年ぶりに食べて美味しかったと答え、忘れられないと[…続きを読む]

2025年2月12日放送 16:54 - 17:05 テレビ東京
ゆうがたサテライト(ニュース)
秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまは今日京都府・舞鶴市の舞鶴引揚記念館を訪れ、シベリア抑留に関する展示をご覧になった。舞鶴港は1945年から13年にわたって引き揚げ者を受け入れてきた戦後引き揚げの象徴的な港。悠仁さまは語り部活動を引き継ぐ高校生たちに「シベリアからはどのくらい距離があるのか」などと尋ねられていた。

2025年2月12日放送 15:50 - 19:00 日本テレビ
news every.4時コレ
冷たい雨が降る中、秋篠宮家の長男・悠仁さまの姿があったのは京都府舞鶴市。お一人で訪問されたのは「舞鶴引揚記念館」。この場所では第二次世界大戦後に旧満州や朝鮮半島、シベリアなどから日本へ帰ってきた人たちのうち約66万人が引揚者として舞鶴港に帰国した歴史がある。資料の一部が「ユネスコ世界記憶遺産」にも登録されているこの記念館は、引き揚げの苦難の歴史などを学べる施[…続きを読む]

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