テオティワカンやギリシャのロケット花火祭りなど日本初取材となる場所も数多く紹介してきた。2001年には四川省の臥龍パンダ保護センターを取材。この初取材をきっかけに番組とパンダセンターの長い付き合いが始まった。飼育費用を寄付することでパンダの名付け親になれる制度にも参加した。名付け親の権利をかけスタジオではトップ賞争いが勃発した。黒柳が「豆豆(トット)」と命名したパンダはオーストリアにあるシェーンブルン動物園に移り、16歳で生涯を終えるまで5頭の子どもを授かった。2012年には黒柳自らパンダセンターを訪問した。