今回のゲスト芸風がバラバラだが同じ事務所のメンバー。全員グレープカンパニー所属だが、永野は今のグレープカンパニーの状況について売れっ子がたくさんいるがかつてはサンドウィッチマンの一強が10年ほど続いたという。しかし次に自身がブレイクしてからようやく回りだしたと答えた。また若林は永野が同じ事務所の後輩にアドバイスをよくしているという話を聞くと、永野は後輩が正当派として世に出た際にこういう先輩もいるというトークの幅を聞かせるための道具にされていると答え、テレビ一周目のインパクトを残すための手段だという。しかしある程度軌道にのれば切り離されると答えた。お見送り芸人しんいちはR-1優勝後に永野に可愛がりを受け、その分ハートが強くなったので今では何も思わくなったという。しかし永野がグレープカンパニーを引っ張っているという話には疑問だと答えた。その答えに永野はサンドウィッチマンはグレープカンパニーの顔だが、その事務所を回したのは自分だと豪語した。一方でティモンディは永野が忙しくなり始めた際に事務所に所属したという。しかし飲みなどに連れて行ってもらっていたと答えた。
永野は苦節20年でラッセンで大ブレイク。現在は事務所を引っ張る存在になったがブレイク前の苦労について語る。永野は当初ホリプロ所属の芸人だったという。所属期間は5年だったが目指して入った事務所でもなく、お笑いをやりたくても根性がなかったのでしていなかったという。また事務所に養成所もなかったというが、グレープカンパニー所属までの経緯についてはある日ホリプロの担当マネージャーにサシ飲みに誘われたがその席でお前の事が好きなのでクビとは言いたくないので辞めると言ってほしいと言われたが、クビの理由は後輩に悪影響を与えるためだったという。永野は後輩に芸人はこうなってはダメなどと色々と吹き込んでいたという。永野はマネージャーの言葉に辞めるとすんなり受け入れたがそのマネージャーに他の事務所にかけあってくれると言ってくれたが事務所をやめた瞬間、そのマネージャーにお礼の電話をかけると他人行儀になっていて自身の目つきが変わったという。その後はフリーで活動していたがその後グレープカンパニーに拾ってもらったという。またフリーの期間中に30歳になり、当時は売れていなければ30歳で芸人を続けていることはありえないことだったという。しかし永野は他の仕事をしたくないという理由で芸人を続けていたという。しかしグレープカンパニー所属後も売れるまで時間がかかり、その頃になると売れるという気持ちもなくなり、同じく売れていなかった芸人とつるみ、何かのアクシデントで死んでしまいたいとまで思ったという。
その後グレープカンパニーでは個性派な芸人たちが続々とブレイクし大躍進。お見送り芸人しんいちはグレープカンパニーに所属する前はフリーで活動していたという。自身が激ヤバと答えるほど何もしておらず、10ヶ月連続で事務所ライブの最下位をとっていたほどだったがクビを止めてくれたのが今のマネージャー。何かありそうという漠然とした理由だったという。永野は当時のしんいちの扱いがスベりキャラで、さらに独自性があるわけでもなく安いプロデューサー連中と飲み歩き芸人にも嫌われていたという。一方でティモンディはグレープカンパニーに一発採用されたという。その中でK-PROライブの話になったが、しんいちはその大会に全く呼ばれずヤキモキしていると答え、その会社の偉い人の悪口を言ってしまい誰かがチクったので探していると答えた。ティモンディはグレープカンパニーについてバーターで出演しているのではなく個々の力が強い事務所だと答えた。また永野はサンドウィッチマンとの関係性について、芸歴も年齢も近く同期のような感じだという。しかしプライベートな付き合いがないので不思議な感覚だと答えた。また当時人気ネタ番組でネタを披露していたサンドウィッチマンだが、当時グレープカンパニーは彼らの個人事務所の様だったと語り、入らないか?と誘われた際には30歳を過ぎて大手の事務所に再び入ることを躊躇していた自分にとっては良い話だったが、サンドウィッチマンについてはまだM-1優勝前だったのでVシネのような人たちという印象があり、しょうがないという思いで入ったと答えた。しかしその1年後にサンドウィッチマンがM- 1で優勝してしまったと答えた。
サンドウィッチマンがM- 1で優勝したが自身には得にその恩恵もなにもなかったという永野。テレビで活躍したいという思いもなく、またテレビで芸人などが集まってトークなどを繰り広げるひな壇についても、そこに座るにはある程度に人間性が必要で、普段からの横のつながりがないと入って行けず苦戦したという。さらにラッセンのネタでたまたまブレイクしてしまい、後輩に色々と芸風について語っていたツケがまわり自分の首を絞める形になり、何も発言ができずただネタをするだけになっていたという。そのやりにくさを脱した瞬間があったというが、水曜日のダウンタウンにてドッキリでしんいちが永野の陰口を言って大炎上した4日後にマルコポロリ!で共演し大喧嘩に発展した。しかしそれが転機になり実際その番組ではそのやりとりが大盛りあがり。しんいちはこのことがなければ今のような仕事量ではなかったかもしれないと答えた。永野はこの時のやりとりについて自由にやれて楽しかったが、自分が毒舌キャラで今まで散々色んな人をディスってきたことをもう一人の自分がそれを許していないので、幸せにはならないで終わりそうだと答えた。
しんいちはブレイクしてのメンタルの変化について、お笑いの賞レースの決勝で戦うことになっても永野にはその前日に優勝する気はないと言っていたが、なぜか優勝してしまい天狗になってしまったという。しかしそこから芸人に嫌われる様になってしまったと答えた。また同事務所の後輩にも慕われていないというが、その後輩にも抜かれその鼻を折られたという。また永野とも仕事したくないと思っていたがそう思う気持ちが逆に自身を鍛えていたという。今では永野に毒を吐かれたいと思うまでになったという。またR-1で優勝したしんいちが炎上したというが永野はそれを唯一守ったという。その理由に永野はたくさんのタレントの悪口を言い過ぎたという枷があるゆえに、当初はリアルだったしんいちとのいざこざをエンタメにする恥ずかしさがあり、R-1の件は本当にそう思ったので自分が正しいと思うことを発言したまでだと答えた。また永野は自身を好いてくれるファンにもするあまのじゃくな一面について語り、さらに今日の出演者の中で唯一スポーツを経験していないことがコンプレックスだと言い出し、若林にもそういった佇まいを感じると答えた。
また話は前田がスポーツエリートという話になり、永野はこんな奴がこじれるはずがないと答え負け顔でエッセイを書いているのが気に食わないと答えた。前田はそうなってしまった理由についてそもそも野球に人生を賭けていたが、それが叶わずに今更体力面でスゴイと言われても何もなれていないので意味がなかったという。永野はその意見に自分は第一志望でお笑いを目指し40歳まで芽が出なかったので相当やばいと感じると答え、野球がダメだったとしてもまだ取り返すことのできる年齢にお笑いをして売れていると答え、それが皆の胸にささるのではと持論を述べた。若林は当初はボケ志望だったがボケは変な人でも通用するがそれを諦めたと語り、自分の魅力を発揮できない修正のツッコミに回ざるを得ずそこで自分の人生が一回終わったように感じたという。しかし永野はボケの中にもなにかを諦めてそうなった人もいて、売れている人には100%ボケという人はいないと答えた。しんいちは前田について実はイタい発言をする人でそこをいじられればもっと可愛くなるのに気づかれていないという。
永野は苦節20年でラッセンで大ブレイク。現在は事務所を引っ張る存在になったがブレイク前の苦労について語る。永野は当初ホリプロ所属の芸人だったという。所属期間は5年だったが目指して入った事務所でもなく、お笑いをやりたくても根性がなかったのでしていなかったという。また事務所に養成所もなかったというが、グレープカンパニー所属までの経緯についてはある日ホリプロの担当マネージャーにサシ飲みに誘われたがその席でお前の事が好きなのでクビとは言いたくないので辞めると言ってほしいと言われたが、クビの理由は後輩に悪影響を与えるためだったという。永野は後輩に芸人はこうなってはダメなどと色々と吹き込んでいたという。永野はマネージャーの言葉に辞めるとすんなり受け入れたがそのマネージャーに他の事務所にかけあってくれると言ってくれたが事務所をやめた瞬間、そのマネージャーにお礼の電話をかけると他人行儀になっていて自身の目つきが変わったという。その後はフリーで活動していたがその後グレープカンパニーに拾ってもらったという。またフリーの期間中に30歳になり、当時は売れていなければ30歳で芸人を続けていることはありえないことだったという。しかし永野は他の仕事をしたくないという理由で芸人を続けていたという。しかしグレープカンパニー所属後も売れるまで時間がかかり、その頃になると売れるという気持ちもなくなり、同じく売れていなかった芸人とつるみ、何かのアクシデントで死んでしまいたいとまで思ったという。
その後グレープカンパニーでは個性派な芸人たちが続々とブレイクし大躍進。お見送り芸人しんいちはグレープカンパニーに所属する前はフリーで活動していたという。自身が激ヤバと答えるほど何もしておらず、10ヶ月連続で事務所ライブの最下位をとっていたほどだったがクビを止めてくれたのが今のマネージャー。何かありそうという漠然とした理由だったという。永野は当時のしんいちの扱いがスベりキャラで、さらに独自性があるわけでもなく安いプロデューサー連中と飲み歩き芸人にも嫌われていたという。一方でティモンディはグレープカンパニーに一発採用されたという。その中でK-PROライブの話になったが、しんいちはその大会に全く呼ばれずヤキモキしていると答え、その会社の偉い人の悪口を言ってしまい誰かがチクったので探していると答えた。ティモンディはグレープカンパニーについてバーターで出演しているのではなく個々の力が強い事務所だと答えた。また永野はサンドウィッチマンとの関係性について、芸歴も年齢も近く同期のような感じだという。しかしプライベートな付き合いがないので不思議な感覚だと答えた。また当時人気ネタ番組でネタを披露していたサンドウィッチマンだが、当時グレープカンパニーは彼らの個人事務所の様だったと語り、入らないか?と誘われた際には30歳を過ぎて大手の事務所に再び入ることを躊躇していた自分にとっては良い話だったが、サンドウィッチマンについてはまだM-1優勝前だったのでVシネのような人たちという印象があり、しょうがないという思いで入ったと答えた。しかしその1年後にサンドウィッチマンがM- 1で優勝してしまったと答えた。
サンドウィッチマンがM- 1で優勝したが自身には得にその恩恵もなにもなかったという永野。テレビで活躍したいという思いもなく、またテレビで芸人などが集まってトークなどを繰り広げるひな壇についても、そこに座るにはある程度に人間性が必要で、普段からの横のつながりがないと入って行けず苦戦したという。さらにラッセンのネタでたまたまブレイクしてしまい、後輩に色々と芸風について語っていたツケがまわり自分の首を絞める形になり、何も発言ができずただネタをするだけになっていたという。そのやりにくさを脱した瞬間があったというが、水曜日のダウンタウンにてドッキリでしんいちが永野の陰口を言って大炎上した4日後にマルコポロリ!で共演し大喧嘩に発展した。しかしそれが転機になり実際その番組ではそのやりとりが大盛りあがり。しんいちはこのことがなければ今のような仕事量ではなかったかもしれないと答えた。永野はこの時のやりとりについて自由にやれて楽しかったが、自分が毒舌キャラで今まで散々色んな人をディスってきたことをもう一人の自分がそれを許していないので、幸せにはならないで終わりそうだと答えた。
しんいちはブレイクしてのメンタルの変化について、お笑いの賞レースの決勝で戦うことになっても永野にはその前日に優勝する気はないと言っていたが、なぜか優勝してしまい天狗になってしまったという。しかしそこから芸人に嫌われる様になってしまったと答えた。また同事務所の後輩にも慕われていないというが、その後輩にも抜かれその鼻を折られたという。また永野とも仕事したくないと思っていたがそう思う気持ちが逆に自身を鍛えていたという。今では永野に毒を吐かれたいと思うまでになったという。またR-1で優勝したしんいちが炎上したというが永野はそれを唯一守ったという。その理由に永野はたくさんのタレントの悪口を言い過ぎたという枷があるゆえに、当初はリアルだったしんいちとのいざこざをエンタメにする恥ずかしさがあり、R-1の件は本当にそう思ったので自分が正しいと思うことを発言したまでだと答えた。また永野は自身を好いてくれるファンにもするあまのじゃくな一面について語り、さらに今日の出演者の中で唯一スポーツを経験していないことがコンプレックスだと言い出し、若林にもそういった佇まいを感じると答えた。
また話は前田がスポーツエリートという話になり、永野はこんな奴がこじれるはずがないと答え負け顔でエッセイを書いているのが気に食わないと答えた。前田はそうなってしまった理由についてそもそも野球に人生を賭けていたが、それが叶わずに今更体力面でスゴイと言われても何もなれていないので意味がなかったという。永野はその意見に自分は第一志望でお笑いを目指し40歳まで芽が出なかったので相当やばいと感じると答え、野球がダメだったとしてもまだ取り返すことのできる年齢にお笑いをして売れていると答え、それが皆の胸にささるのではと持論を述べた。若林は当初はボケ志望だったがボケは変な人でも通用するがそれを諦めたと語り、自分の魅力を発揮できない修正のツッコミに回ざるを得ずそこで自分の人生が一回終わったように感じたという。しかし永野はボケの中にもなにかを諦めてそうなった人もいて、売れている人には100%ボケという人はいないと答えた。しんいちは前田について実はイタい発言をする人でそこをいじられればもっと可愛くなるのに気づかれていないという。
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