コソボ・ハイダルドゥシィ通りに今、セルビア系住民は暮らしていない。あるアパートだけは当時のまま残っていた。そこに暮らすというアルバニア人は通りに住んでいたセルビア人を覚えていた。この女性は「4階にいた少年も知っている」「みんな私の子どもたちと遊んでいた」などと振り返った。25年まえ、このアパートに暮らしていた忘れがたいセルビア人の親子。この通りで生まれ育ったドラガン 13歳。かつてアルバニア人の友だちと遊んだ通り。もう外に出ることすらできなくなっていた。母・スロボダンカが繰り返し語ったのが「何人であろうとわたしたちは皆人間です」「すべての人が平和を願っているのです」などの言葉。話を聞いた直後、警察官だったドラガンの父がアルバニア人に殺された。