2025年8月30日放送 1:36 - 3:47 NHK総合

隣人たちの戦争〜コソボ“憎しみの通り”の25年〜

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(オープニング)
オープニング

世界では今も戦争が続いているが、コソボ・ハイダルドゥシィ通りにもかつて戦争があった。異なる民族が隣人として暮らしていたが、戦争が始まると隣人は敵同士に…。そして1999年に戦勝は終結。戦争の勝者となった“アルバニア系住民”は、敗者となった“セルビア系住民”の家を奪い取って暮らしていた。戦争が終わっても、隣人たちの戦争は続いていたのだ。それから25年、世界が憎しみで分断されている今、隣人が殺し合う地獄を経験したコソボの人たちは、何を思い、何を大切にして生きているのか?再び尋ねると、想像を超えた人生を生きていた。小さな通りの隣人たちのその後の話をお届けする。

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コソボハイダルドゥシィ通り
(隣人たちの戦争〜コソボ“憎しみの通り”の25年〜)
ラマダン・レパヤさん

コソボ・ハイダルドゥシィ通り。約25年まえ、右田千代ディレクターはこの地に住む人たちに出会った。通りは様変わりしていた。右田千代はある家族の家を探した。

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コソボハイダルドゥシィ通り

右田千代がその家族と出会ったのは25年前、1999年にコソボ紛争を取材していたときのこと。異なる民族が共存していた旧ユーゴスラビアの自治州だったコソボ。民族主義が高まる中で、多数派のアルバニア人とセルビア人の対立が激化。セルビア人の政府が独立を求めるアルバニア人を武力で弾圧した。するとアメリカ主導のNATO軍が人道的介入としてセルビア側を空爆。国連の承認がないままの武力行使だった。セルビア側は強く反発し、アルバニア人を国外に追放し、80万人以上が難民になった。中でも心に残ったのは、ラマダン・レパヤさんと母・ハティジェだった。家族の安否が分からなままだった。18歳だったラマダンは兄のように慕っていたいとこをセルビア人に殺され家には火を放たれたという。極限状態の中でもラマダンは人のために寝る間も惜しんでテントを建てていた。3ヶ月後、NATOの支援で勝者となったアルバニア人は故郷コソボに帰った。戦争で受けた傷を乗り越えて、幸せになってほしい。ラマダンの笑顔が見たい。それが長く続くコソボ取材の始まりだった。コソボ・ハイダルドゥシィ通りにラマダンはいた。故郷の家を壊され、セルビア人の家を奪って暮らしていた。笑顔はなかった。それどころか思いも寄らない重荷を背負っていることを知った。セルビア側に抵抗し、武装闘争を行ったコソボ解放軍。難民になる前、ラマダンは兵士だった。自分も傷を負い、病気になって軍を追い出され難民となったという。戦争に勝利しても尚、隣人だったセルビア人に強い思いを抱いていた。

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コソボ紛争コソボ解放軍北大西洋条約機構

その後、独立を宣言したコソボ。現在はアルバニア人が実権を握っている。憎しみを忘れられないと苦しんでいたラマダンはそれからどうしているのだろうか。母・ハティジェに連絡がつき、ラマダンが今暮らす場所を教えてもらった。刑務所のすぐとなりだった。戦争で負傷した人などのための安価の高齢住宅。ラマダンは不在で、母・ハティジェを訪ねようとした時、ラマダンから「我々に関わるな 取材する権利はない」というメッセージが届いた。理由を尋ねたが返信はなかった。母・ハティジェを訪ねた。20年前より憔悴した様子だった。ハティジェは、ラマダンが電話をかけてきた、突然捕まったという、保釈金を払わないと刑務所で過ごすことになるという。今日の朝知ったという。ラマダンはドイツで不法就労で捕まっていた。コソボでは仕事がなかったという。ハティジェは、ラマダンはキャンプにいたときとは変わってしまった、今はいつも苛立っているなどと明かした。ハティジェは今世界で続く戦争に当時の記憶を呼び覚まされていた。ハティジェは「私はセルビア軍が銃で人を殺すのをこの目で見た 殺すのは誰でも良かったのです」などと明かしていた。

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プリシュティナ(コソボ)
解放記念日

アルバニア系住民の戦争犠牲者の墓地。25年前、虐殺された直後の墓。死者、行方不明者は1万人以上。3歳の少女、11歳の少年。セルビア側による掃討作戦はNATO空爆が始まるとさらに激化し、犠牲者は増え続けた。それでもコソボでは今でもNATO空爆は正義とされている。空爆を指揮したアメリカ大統領を変わらずたたえている。終戦から25年、解放記念日。コソボ議会で式典が開かれた。コソボのオスマニ大統領は「1999年6月12日NATO軍が私たちの土地にきた時彼らは救世主だった コソボにとってNATOは希望の光 正義 自由を与えてくれた」と話す。正義の戦争とは何なのか。NATO空爆の理由とされた人道的介入。コソボ紛争を先例として世界では人道的介入を理由とした戦争が今も続いている。

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プリシュティナ(コソボ)ヴィヨサ・オスマニ北大西洋条約機構解放記念日
ラマダン・レパヤさん

ハイダルドゥシィ通り。ドイツで拘束されたというラマダンと電話がつながった。ラマダンは「車を借りていて借金がかさんだ そのお金を返さないといけない」などと話す。多くは語らなかった。ラマダンのふるさとの村に、ラマダンが戦争中に受けた深い傷跡があった。1999年、戦争の直後のラマダン。従兄弟たちはセルビア兵に虐殺された。ここで生きたまま焼かれたという。ラマダンが兄のように慕っていた従兄弟たち。ラマダンは「セルビア人は本当に残酷なやり方で殺したんだ 自分のこの目でいとこの焼け焦げた遺体を見た時、僕は決意した 僕には目の前に現れたセルビア人をすべて直ちに殺すことができる そう思うようになった」と話していた。18歳の若者に人を殺したいと思わせた思い記憶。

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コソボハイダルドゥシィ通り
エンベルさん

ラマダンの故郷の村で、家族全員を殺された人がいる。1999年エンベルは、「父は71歳でした 母は65歳、妻は34歳」と説明していた。父と母、妻、子ども4人。セルビアの民兵に銃殺された。25年前の写真を見せた時、エンベルは受け取りを拒否した。そして、取り乱してごめんなさいと話し、写真を改めて見て、「写真を見て家族が殺されたと聞いた時と同じ感情に襲われている」と語った。子どもたちに向けて放たれた銃弾は97発。今、戦禍にある人たちに伝えたいを話したのは憎しみについての言葉ではなかった。「戦争は世界中で起こり続けるでしょう」「失ったものは戻らない」などと語っていた。

遺族の話に耳を傾けてきたイスラム教の師・イドゥリは、ラマダンの虐殺されたいとこも埋葬した。この時のラマダンは憎しみを語らなかった。イドゥリは、ラマダンの涙は深い痛みと絶望から流れ出ているのがわかる、彼がせいわざるを得なかった激しい苦しみの涙だと説明する。今、世界で続く戦争がラマダンをさらに苦しめているのではないかという。戦争で経験した悪夢を思い起こさせ、わたしたちを苦しめるなどと明かした。人間はなぜ、戦争をやめられないのか。失ったものは二度と戻らないのに。

コソボ治安部隊

国家は今、軍事力を強化している。コソボ治安部隊が行進を行っていた。コソボ治安部隊は、アメリカを後ろ盾としている。コソボのクルティ首相がコソボ治安部隊の前で、「軍事予算は2倍以上に増加。アメリカのジャベリン対戦車ミサイルが、近々配備される予定です」と語った。多くの人々がそれを見守り、笑顔で拍手や歓声を送っていた。

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コソボのセルビア系住民の今

今、コソボのセルビア系住民は限られた地域に集まって暮らしている。コソボ北部にあるセルビア系住民の居住地域は、川を挟んでアルバニア系住民の暮らす地域と接している。25年間何度も衝突が起き、今も緊張は続いていて分断の町と呼ばれている。セルビアはロシアを後ろ盾にしていて、ロシアのウクライナ侵攻はここでの対立にも影を落としている。コソボのセルビア人はこの25年間で3分の1に減少したが、コソボ政府はセルビア人への圧力をさらに強化している。

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コソボ
ブラーナさん

25年前までは支え合うように暮らしていた異なる民族。コソボで生まれ育ったセルビア人のプラーナさんは代々この地で暮らしていて、アルバニア人の隣人のハティジェさんとは長く親しくしていたそう。空爆の夜も共に地下室に避難していたが、そこにセルビア軍に徴兵されたプラーナさんの息子が武装してやって来たのを見てハティジェさんは恐怖を感じたという。間もなくプラーナさんはコソボを去り、セルビアへと向かった。そこは当時アメリカ主導のNATO軍に空爆された場所で、NATOは人道的介入だとしていたが、市民が標的となり2500人が死亡した。セルビアは「戦争犯罪だ」としている。プラーナさんはセルビアへ脱出してから1年も経たずに亡くなっていた。息子のゾランさんによると、死の間際までハティジェさんとの思い出を語っていたという。

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コソボセルビア軍ハイダルドゥシィ通りベオグラード(セルビア)北大西洋条約機構
ドラガンさん 13歳

コソボ・ハイダルドゥシィ通りに今、セルビア系住民は暮らしていない。あるアパートだけは当時のまま残っていた。そこに暮らすというアルバニア人は通りに住んでいたセルビア人を覚えていた。この女性は「4階にいた少年も知っている」「みんな私の子どもたちと遊んでいた」などと振り返った。25年まえ、このアパートに暮らしていた忘れがたいセルビア人の親子。この通りで生まれ育ったドラガン 13歳。かつてアルバニア人の友だちと遊んだ通り。もう外に出ることすらできなくなっていた。母・スロボダンカが繰り返し語ったのが「何人であろうとわたしたちは皆人間です」「すべての人が平和を願っているのです」などの言葉。話を聞いた直後、警察官だったドラガンの父がアルバニア人に殺された。

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コソボハイダルドゥシィ通り
ドラガンさん 19歳

セルビア・ベオグラード

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ベオグラード(セルビア)
(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

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