25年前までは支え合うように暮らしていた異なる民族。コソボで生まれ育ったセルビア人のプラーナさんは代々この地で暮らしていて、アルバニア人の隣人のハティジェさんとは長く親しくしていたそう。空爆の夜も共に地下室に避難していたが、そこにセルビア軍に徴兵されたプラーナさんの息子が武装してやって来たのを見てハティジェさんは恐怖を感じたという。間もなくプラーナさんはコソボを去り、セルビアへと向かった。そこは当時アメリカ主導のNATO軍に空爆された場所で、NATOは人道的介入だとしていたが、市民が標的となり2500人が死亡した。セルビアは「戦争犯罪だ」としている。プラーナさんはセルビアへ脱出してから1年も経たずに亡くなっていた。息子のゾランさんによると、死の間際までハティジェさんとの思い出を語っていたという。