今もあの少年は憎しみに駆り立てながら生きているのか。スロボダンカが出迎えてくれる。今は一人暮らしだった。74歳の誕生日。25年前、手には金の指輪があった。スロボダンカは「どれだけの金製品を売って生き延びてきたか 息子の名前を刻んだ指輪以外はすべて売った」と語る。1999年当時、命の危険にさらされながら繰り返し語っていた「何人であろうとわたしたちは皆人間です」などの言葉。今、その思いと世界は逆行している。スロボダンカは「ウクライナでの戦争を思うと涙が出る 命を落とす人たちのために私は泣き、祈ることしかできない」という。そしてまた「わたしたちは皆、血と肉でできています 意見は違っても知恵を絞り武力を使わずに解決できるはずです」などと繰り返した。
ドラガンはセルビア南部の町にいると聞き右田千代が会いに行った。13歳の少年は38歳になっていた。仕事は溶接工。現場の近くに仮住まいしていた。13歳でコソボを出てからどんな人生を生きてきたのか。ドラガンは「大黒柱の父親もいない状況の中ですぐに気づいた 人生は突然完全に変わってしまうことを」「可能性は限られ破滅的な人生を生きるしかなかった」などと明かす。今の仕事は刑務所を出た後に始めたという。ドラガンが入っていたセルビア東部の刑務所。暴力事件を起こしたという。刑務所でアルバニア人への思いが変わったという。「当時僕は分かくて未熟でした 情報を鵜呑みにして憎しみを抱いていた 刑務所でアルバニア人と出会い食事をしたり一緒に過ごした 母が言った通り皆血と肉でできた人間だったんです」と明かしていた。ドラガンを変えたもう一人が娘・ヨヴァナ。今強く決意していることがある。13歳の時、父を殺された憎しみ。「僕はヨヴァナにアルバニア人が君の祖父を殺したとは絶対に言わない 自分の子どもに「アルバニア人を憎むように教えたりはしない」などと語った。が娘・ヨヴァナは、ドラガンが父を失った歳とほぼ同じ14歳。自分のような人生を子どもに歩ませないためにできることを聞かれたドラガンは「すごく難しい質問ですが、その答えは人間らしく生きること 僕たちは今人間らしさが失われて他の人に利害抜きで挨拶することも少なくなってしまった でも僕らはみな1人では生きていけないのです」と答えた。そして「どこに行くにも車で連れて行ってくれた」などとコソボでの父との思い出を語った。
ドラガンはセルビア南部の町にいると聞き右田千代が会いに行った。13歳の少年は38歳になっていた。仕事は溶接工。現場の近くに仮住まいしていた。13歳でコソボを出てからどんな人生を生きてきたのか。ドラガンは「大黒柱の父親もいない状況の中ですぐに気づいた 人生は突然完全に変わってしまうことを」「可能性は限られ破滅的な人生を生きるしかなかった」などと明かす。今の仕事は刑務所を出た後に始めたという。ドラガンが入っていたセルビア東部の刑務所。暴力事件を起こしたという。刑務所でアルバニア人への思いが変わったという。「当時僕は分かくて未熟でした 情報を鵜呑みにして憎しみを抱いていた 刑務所でアルバニア人と出会い食事をしたり一緒に過ごした 母が言った通り皆血と肉でできた人間だったんです」と明かしていた。ドラガンを変えたもう一人が娘・ヨヴァナ。今強く決意していることがある。13歳の時、父を殺された憎しみ。「僕はヨヴァナにアルバニア人が君の祖父を殺したとは絶対に言わない 自分の子どもに「アルバニア人を憎むように教えたりはしない」などと語った。が娘・ヨヴァナは、ドラガンが父を失った歳とほぼ同じ14歳。自分のような人生を子どもに歩ませないためにできることを聞かれたドラガンは「すごく難しい質問ですが、その答えは人間らしく生きること 僕たちは今人間らしさが失われて他の人に利害抜きで挨拶することも少なくなってしまった でも僕らはみな1人では生きていけないのです」と答えた。そして「どこに行くにも車で連れて行ってくれた」などとコソボでの父との思い出を語った。