晩年、ガウディはサグラダ・ファミリアでの作業を終えると、教会に通っていた。だが、1926年6月7日、路面電車に轢かれてしまった。報酬のほぼ全てを建設に充てていたため、粗末な身なりから偉大な建築家とは思われず、タクシーに乗車を拒否されたという。ガウディの死後、スペイン内戦下では、工房が放火された。複雑な石膏模型も破壊されてしまったという。だが、職人たちは模型の欠片を集め、修復にあたった。複雑な形状のなかに法則性があることが分かったという。建築家たちは聖堂の全体図、古い文献、コンピューターなどを駆使し、「イエスの塔」の構造を計算した。
