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「サンタマリア号」 のテレビ露出情報

阪神淡路大震災で道路や鉄道などが寸断された神戸の街。そんな中、被災者の助けとなったのが海の上の交通網、船。およそ3か月間にわたって支援物資の輸送や避難する人など延べ60万人以上の足となった。発災後、神戸港を中心に臨時航路が作られたが、その運航にはさまざまな困難があった。震災から30年、当時の教訓を生かしてほしいと船乗りたちが証言した。神戸港で海運業を営む渡辺真二さん。発災の翌日、神戸市からすぐに船を出してほしいと緊急要請を受け、避難した人たちを船で運んだ。陸の孤島となっていた神戸。多くの人たちが避難を求めていた。しかし海は流出したコンテナなど漂流物が多く危険だった。それでも渡辺さんは出航することを決め、被災者を避難先に送り届けた。その後、ほかの船会社も次々と船を出した。交通網が寸断される中、人々の命綱となった。
その後14の臨時航路が作られたが、問題となったのが神戸大阪間だった。船の利用者が予想以上に多く、さらなる船が必要となった。当時国から緊急輸送を求められたのが遊覧船、サンタマリア号。大阪港内を周遊する遊覧船を初めて港の外へと向かわせる異例の事態だった。遊覧船の船長だった清家將之さん。災害支援の役割を担うことは初めての経験だった。乗船できる人数はおよそ800人と多い遊覧船。しかし船体が大きいため小回りが利かず、地震で被害を受けた神戸港にうまく着岸できない可能性があった。そこで清家さんは数時間かけて神戸港まで歩き、安全に着岸できる岸壁を確認。出航を決断した。漂流物を慎重に避けながらの航行。船を無事、着岸させることができた。清家さんは37日間にわたって休みなく人々を運び続けた。震災から30年がたつ中、清家さんは当時を知らない世代にも経験を引き継ごうと訓練を行っている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年1月13日放送 1:49 - 1:50 NHK総合
あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜(あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜)
大阪港の遊覧船・サンタマリア号の船長だった清家將之さん。陸路が寸断された「あの日」、命綱は船だった。遊覧船は救援船に姿を変え、人々の暮らしを支えた。

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