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「ザ・ビートルズ」 のテレビ露出情報

国内外の音楽市場は、CDの売り上げが不調の時代から一転、デジタル化やサブスクの普及によって、V字回復している。23年、世界のストリーミング全体の売り上げは2兆5670億円にのぼった。Creepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」は公開から1カ月で、累計再生数が1億回を突破している。1890年代、アメリカでは出版業者が店頭でアーティストの曲を歌って宣伝し、ヒットへつなげていた。1910年代にはレコード、20年代にはラジオや映画といったマスメディアが誕生。50年代、エルビス・プレスリーが絶大な支持を集める。当時、ヒット曲は、映画と深く結びつき、スターが歌うことで人気に。64年、ザ・ビートルズはビルボードのチャートで1位から5位までを独占。82年に発売されたマイケル・ジャクソンの「スリラー」はギネスブックで「世界で最も売れたアルバム」と認定されている。MVはスタイリッシュでクール、楽曲はひたすらテレビで流れたこともヒットの要因となった。
2005年、YouTubeが登場。場所や時間に囚われることなく、好きなタイミングで音楽や映像を楽しめるように。さらにコミュニケーションツール、SNSも続々と登場。リスナーたちの双方向的なやりとりにより、楽曲がより広く認知されていくことになる。12年に「江南スタイル」のMVがYouTubeで公開されたが、MVは2カ月で再生回数1億を突破。16年、TikTokが登場する。瑛人の「香水」は19年に発売された当初、注目されていなかったが、カバー曲を投稿するユーザーが急増。年末には紅白歌合戦に出場を果たした。ヒットチャートでは売り上げだけでなく、楽曲の再生回数、SNSでシェアされている頻度も指標になっている。踊りやすい、模倣しやすいダンスはSNSでシェアされやすく、ダンスを覚えようとループ再生することで曲の再生回数も増えていく。さらに日本のアニメは、海外で一定の市場規模を獲得。タイアップ曲はヒットチャートの上位を占める。
アメリカでは誰かが作ったオススメのリストから旧譜を知り、同じアーティストの過去の曲が再生されてヒットしている。「一人で泣きたいときに聴く曲」など、気持ちやムードを加味したプレイリストで古い曲に触れ合えるチャンスは多くなる。鮎川ぱて氏は「有名無名に関わらず、アーティストの楽曲が国境、時代を超えられる時代が到来した」と話し、音楽の未来は明るいという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月30日放送 2:04 - 3:04 日本テレビ
バズリズム 02有名アーティストを多数輩出 音楽塾ヴォイス
音楽塾ヴォイスの西尾塾長にインタビュー。最後の教え子は実の娘であるテテラポ。中学2年生、音楽を始めたきっかけは西尾塾長の存在。ビートルズを口ずさんでいるのを聞き、可能性を感じたそう。歌声の魅力は「赤ちゃんの響き」。目指すはVaundy。音楽の知識や気になったことなどをメモに書き留めている。

2025年8月28日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
The Covers(オープニング)
今回は、矢沢永吉ナイト。1975年のソロデビューから50年、圧巻のパフォーマンスと数々の名曲。半世紀を超えて走り続けるロックスター、矢沢の魅力に迫る。1977年ソロのロックアーティストとして初めて日本武道館で公演、これまでに歴代最多の157回を記録。以降、国立競技場を始め数々の前人未到のLIVEを行い、この秋には東京ドーム公演も予定。新たな伝説を刻み続けてい[…続きを読む]

2025年8月26日放送 11:55 - 13:55 日本テレビ
ヒルナンデス!あさこ・大久保の気まま旅in軽井沢
てやんでぃ屋の人力車に乗ることに。銀座通りの裏路地へと進んでいくと涼しい風を感じられるようになった。路地は空気の流れがあり森に囲まれていることでより涼しくなるのだという。上皇ご夫妻が1957年に出会われた軽井沢会テニスコートもあるが、ここは会員制となっていてドレスコードも残る伝統のコートなのだという。旧軽井沢別荘地区は全てが別荘となっていて、街中よりも約1~[…続きを読む]

2025年8月24日放送 22:00 - 22:54 TBS
日曜日の初耳学インタビュアー林修
矢沢永吉は18歳の時に、無一文で広島から上京した。矢沢永吉は32歳の時に、全米進出を決意した。矢沢永吉が、布袋寅泰の世界進出に助言したエピソードを語った。

2025年8月24日放送 12:54 - 15:05 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
読売ジャイアンツは巨人大鵬卵焼きとして昭和の子どもから人気を博していた。ミスタープロ野球・長嶋茂雄、世界のホームラン王・王貞治を擁し球史に残る9年連続で日本一に輝いた。高度経済成長真っ只中の1965年・昭和40年のことで、リリーフ投手・宮田征典は名前が呼ばれるのが8時半ごろだったことから8時半の男との異名も付いた。昭和41年は前年にドラフト会議が導入されると[…続きを読む]

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