横浜市にある台湾出身日本兵の慰霊碑の完成の法要が真照寺で営まれた。その日を誰よりも待ち望んでいた呉正男は、数少ないソ連に抑留された台湾出身の元日本兵である。呉が求めてきたのは日本人の手で慰霊碑を建立してもらうことであり、その思いを知った真照寺の水谷住職が建立に動いた。呉は16歳で陸軍に志願し、航空部隊に配属され 、終戦間際には特攻作戦への参加を名乗り出ており、日本兵として死ぬ覚悟ができていたなどと明かした。呉は現在の北朝鮮で敗戦を迎え、ソ連軍に取らわれシベリアへ送られた。シベリア抑留では日本人捕虜60万人が連行され6万人が死亡した。カザフスタン・クズオルダは寒暖差の大きい砂漠地帯であり、呉は運河の建設などに従事し、空腹と熱病に苦しめられた。後は2年間の抑留後に日本行きの船に乗せられ、日本に留まることに決めた呉は横濱の華僑系金融機関幹部として中華街の発展に尽力してきた。80年以上日本に暮らしている呉だが、国籍を理由に元日本兵としての保証を受けていない。2020年11月から取材を受けている呉は、抑留中の辛い体験を語るのではなく自分は運が良かったのだと語り続けており、慰霊碑完成後の取材でも2年の抑留は最大なる幸福だったなどと告げている。呉は勾留が長引いたことで台湾に戻らなかったことが幸福だったとしており、一方で当時台湾に戻った日本兵たちを戦争に劣らない苦難の数々が待っていたことが明らかになった。
