2000年秋になっても宮内裕正はエラーと闘っていた。携帯電話で写真を送るには電話よりも太い通信回線がいる。カメラ付き携帯で再び通信障害が起きれば致命傷になる。総力戦で回線の整備に奔走した。宮内が試作室にこもって半年、不具合の正体に思い当たった。部品から出る電磁波が干渉していることに気づき、部品の位置を修正。サイズを変えることなく11万画素のカメラを備えた携帯電話が完成した。2000年11月1日発売開始。カメラ付き携帯はわずか1年で300万台を売り上げ大手が次々と後追いする大ヒット商品となった。J−フォンは業界第2位に躍進。高尾は開発の成功を父に伝えた。返ってきたのは一言「天狗になるなよ」。寡黙な父の褒め言葉だった。崖っぷちだったシャープ携帯事業部は高収益の部署に躍進した。立役者の宮内は「次もっと違う、もっとすごいやつと。次次って考える」などと話した。