- 出演者
- 有馬嘉男 森花子 高尾慶二 高尾邦俊 山下晃司 宮内裕正
今から24年前、日本で生まれた発明品が世界中の風景を一変させた。背面にカメラを内蔵し、撮影した写真をメールで送れるカメラ付き携帯電話。J−PHONEとSHARPのタッグ。反骨のエンジニアたちが成し遂げた逆転劇。
オープニング映像。
オープニングトーク。今夜はカメラ付き携帯電話の開発物語を伝える。有馬さんはショルダーフォンを指し「僕が会社に入って初めて使ったのはこれだったんですけど、ここからどんどん小さくなってデザインも変わった」などと話した。今日の主役は2000年発売の「J-SH04」。背面にカメラを搭載し「写メール」ができる世界初の携帯である。開発したのは業界の後発同士の会社だった。
1990年代、携帯電話サービスが始まり、NTTを筆頭に市場争いは熾烈を極めた。そんな中競争に出遅れ、最後尾から市場に滑り込んだ東京デジタルホン、後のJ-PHONE。JRや鉄鋼会社が出資して作った会社だったが、「電話が繋がらない」などとクレームが殺到、社内総出でお詫びする騒ぎになった。矢面に立たされた端末課は謝罪行脚するハメに。そもそも端末課の3人は素人集団だった。その中でマツダから出向した高尾慶二は、大企業では歯車に過ぎない自分も誇れる仕事ができるかもしれないと思ったという。しかし後発の携帯電話会社には繋がりにくい電波帯しか残っていなかった。市場は大手2社に握られており、メーカーも押さえられている。
高尾の故郷は長崎県。高尾にものづくりの喜びを教えてくれたのは鍛冶屋を営む父だった。「物がないなら創ればいい」とは父の教え。開業から3年。一方SHARPは携帯電話市場に出遅れ大手メーカーの中で唯一、本格参入を果たせずにいた。80人の部下を守るため、J-PHONEの誘いにかけた。目指したのはポケベルよりも長いメールを送れる携帯電話。このアイデアが後にカメラ付き携帯電話へと発展することになる。
元J−フォン・高尾慶二、元シャープ・山下晃司にスタジオで話を聞く。高尾さんはVTRを振り返り「今回VTR見させて頂いてまさしくその通りだった」などと話した。山下さんは当時の事業部の雰囲気について「開発に必要な財源がないのは事実だった。非常に貧乏のどん底というところだった。」「J-PHONEさんとはどんな仕様にしていくかを対等に話せるのは我々としては嬉しかった」などと話した。
1997年、J−フォンとSHARPによる共同開発が始まった。翌年、メールを送れる携帯電話第一作「J−SH01」を発表したが、基盤から部品が剥がれる故障が見つかり生産ラインを止める騒ぎに。NTTドコモがiモードを展開。インターネットに接続し、ニュースやエンタメ情報が楽しめるサービスで、半年で100万人の客が殺到した。J-PHONEは解約が相次いだ。そんな時、両親を箱根へ連れていくことに。富士山に驚く両親にカメラを向けた時、女性が携帯でなにかを打っているのが気になった。「この女性は絶景を誰かに伝えたいのではないか?」。高尾はカメラをつけることを提案。猛反対されても古巣のマツダへは戻らないと退職願を出して勝負に出た。極限までコンパクトになった携帯電話にカメラを入れる隙間などあるはずもなかったが、頼み込まれたSHARP山下は一人の男に目をつける。元々事務職だったが、独学で15年かけて技術職に異動を果たした宮内裕正。彼に設計を任せることにした。フレキシブル基盤に600以上の部品を並べる忍耐の戦い。2ヶ月後、試作が完成。しかしカメラを起動するとアンテナの感度が下がるなど50以上の不具合が報告された。
設計を担当した宮内裕正さんにスタジオで話を聞く。宮内さんは「やったことがないのが好き。万が一失敗しても命まで取られることないので大丈夫」などとコメント。山下さんは「新しいものをやるのにトラブルはつきもの。失敗する人ほど次の商品開発に向けて期待値が高い」などと話した。
2000年秋になっても宮内裕正はエラーと闘っていた。携帯電話で写真を送るには電話よりも太い通信回線がいる。カメラ付き携帯で再び通信障害が起きれば致命傷になる。総力戦で回線の整備に奔走した。宮内が試作室にこもって半年、不具合の正体に思い当たった。部品から出る電磁波が干渉していることに気づき、部品の位置を修正。サイズを変えることなく11万画素のカメラを備えた携帯電話が完成した。2000年11月1日発売開始。カメラ付き携帯はわずか1年で300万台を売り上げ大手が次々と後追いする大ヒット商品となった。J−フォンは業界第2位に躍進。高尾は開発の成功を父に伝えた。返ってきたのは一言「天狗になるなよ」。寡黙な父の褒め言葉だった。崖っぷちだったシャープ携帯事業部は高収益の部署に躍進した。立役者の宮内は「次もっと違う、もっとすごいやつと。次次って考える」などと話した。
VTRを振り返ってトーク。宮内裕正は「“感謝”っていう言葉が胸にずっしりきた」、山下晃司は「よくあれだけの期間であれだけの物を完成させたなと思う」、高尾慶二はカメラ付き携帯の開発について「本当に楽しかった。今でも当時のことが鮮明に思い出せるくらい」などとコメントした。スタジオでは開発した携帯電話で自撮りで写真を撮影した。
あれから24年、携帯電話につくカメラ機能は世界標準になった。会社の企画力に目が留まり、英国企業に買収され、新たな製品開発は差し止めになった。高尾慶二は家族で会社を立ち上げ日本酒作りに挑んでいる。シャープも企業買収の荒波に飲み込まれた。かつて存続の危機にあった携帯事業部は逆風の中でも会社を支えた。宮内裕正はエンジニアの道を貫き、最新のスマートフォンまで開発を最前線で支えた。去年12月、42年間の会社人生の最終日を迎えた。
次回の新プロジェクトX〜挑戦者たち〜の番組宣伝。