1992年、家庭用ゲーム機開発が始まった。実現に欠かせなかったのがリアルタイム3DCG。当時の家庭用ゲームは2Dが主流だったが、3Dにすれば臨場感溢れる新しいゲームができると考えた。久夛良木は社内のテレビ局向け技術に目をつけた。システムGは1秒のCG映像を作るのに数日を要する時代に、リアルタイムでCGを作ることができた。開発メンバーをかき集め、システムの心臓部分を1cm四方の半導体に小型化した。3Dを形作ることはできたが臨場感を宿すためには陰影や質感が必要不可欠だった。
久夛良木は東芝の3Dグラフィック半導体をゲーム機用に改良することになった。1980年代、東芝は半導体事業で世界トップクラスのシェアを誇り、大橋はアメリカで最先端の3D技術に触れた。帰国後は開発チームを立ち上げイラストや設計などで使える3D技術の研究に没頭した。スティーブ・ジョブズから共同開発の相談を受けたこともあったが、日本ではまだ使い道がなかった。久夛良木は100万台売れるゲーム機の半導体を作るように頼み、ソニーとの半導体開発がスタートした。
久夛良木は東芝の3Dグラフィック半導体をゲーム機用に改良することになった。1980年代、東芝は半導体事業で世界トップクラスのシェアを誇り、大橋はアメリカで最先端の3D技術に触れた。帰国後は開発チームを立ち上げイラストや設計などで使える3D技術の研究に没頭した。スティーブ・ジョブズから共同開発の相談を受けたこともあったが、日本ではまだ使い道がなかった。久夛良木は100万台売れるゲーム機の半導体を作るように頼み、ソニーとの半導体開発がスタートした。