「タイトルナイン」とは、教育の性差別を禁止し米国女子スポーツにも変革をもたらした法律。その法案成立に大きな功績を残した人がいる。日系3世の政治家・パツィー・タケモト・ミンク。男女平等を進めたその法案には彼女の人生が色濃く影響していた。1927年、ハワイに生まれたミンク。医者になるのが夢だった。20歳の頃、医学部に願書を送るが、女性だからという理由で受け付けてもらえなかった。そんな理不尽な差別と戦うため弁護士を目指したミンク。しかしまたもや、女性だからという理由で受け付けてもらえなかった。差別を変えるためには法律そのものを変えなくてはならない。そう考えたミンクは政治の世界へ。1964年、人種差別反対運動が盛んに行われた時代。初の非白人議員として政界入りを果たした。そしてタイトルナインの作成に力を注ぐ。同じ頃、差別に苦しめられた女性がいた。ドナデバロナさんは、1964年の東京オリンピックに17歳で出場した元競泳選手。400m個人メドレーなど2つの金メダルを取ったレジェンド。しかし、東京五輪の後、引退。当時の女性は家庭に入るものだと考えられていたから。10代で引退を余儀なくされたデバロナさん。その悔しさを胸に、彼女はスポーツ界から男女平等の実現を後押しした。そして1972年、女性たちが立ち上がり勝ち取ったタイトルナインが成立。2002年、その生涯に幕を閉じたミンク。今年、彼女の功績を称え記念コインが作られた。タイトルナイン成立から半世紀余り。ミンクが生涯を捧げた男女平等の夢は米国女子サッカーという舞台に引き継がれている。