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「ダウンタウン」 のテレビ露出情報

吉本興業の現会長である大崎会長はNSC誕生当時は大きな期待をしていなかったという。吉本興業は1912年に創業し、当時は寄席を経営する一興行会社に過ぎず客の殆どが年配者だったという。1980年代になると漫才ブームが巻き起こり関東からも出演依頼が殺到した。当時マネージャーだった大崎会長は、東京での関西の芸人への風当たりの強さを感じていたという。そこでボウリング場の跡地にNSCを立ち上げ、生徒を募った。当時は師匠に弟子入りしてデビューするのが一般的だったが、才能があっても耐えられない人を取り逃しているのではないかと考えたという。1期生は約100人で期間は1年で年間18万円の費用で、軽い気持ちで入る人も多かったという。発足間もないNSCを担当した大崎会長は最初は雑用に追われたという。ダウンタウンの2人に暗くて怖い印象を持ったというが、漫才を見て衝撃を受けた。大崎会長は2人を小さなお笑いの大会に出場させると大賞を獲得したが、当時のお笑いのトップだった横山やすしから「チンピラの立ち話」などと罵倒されたという。2人の漫才を見た上沼氏は友人同士の立ち話のようなスタートだったが毒やセンスがあり面白かったという。しかし、NSC卒業後もダウンタウンのスケジュールは埋まらなかったという。
大崎会長は自らラジオ番組に出演し、ダウンタウンの2人を出演させて売り込んだ。番組ではダウンタウンはなぜ売れないかもテーマにした。漫才ブームを牽引した島田紳助は「面白いけど今は流行らない」などと評価した。これにダウンタウンは「僕らの中では漫才の答えが出ているため下手にならないよう練習すればいいだけ。違うところに向かっている。」などと述べた。更に大崎会長は関西テレビのプロデューサーだった上沼氏に2人を売り込み、2人だけのコーナーを獲得して世界観を深めていった。このころになると4期生に今田耕司や板尾創路などの新たな人材も入学し、1期生のハイヒールにも仕事が増え始めてきたが風当たりも強かったという。大崎会長は1986年に心斎橋筋2丁目劇場を立ち上げて若手のお笑いの実験場にした。オープニング公演はダンスを取り入れた青春劇となった。ダウンタウンの2人は当初恥ずかしがっていたといい、演出家の湊氏は大崎会長が2人に檄を飛ばしたことが印象的だったという。また、大崎会長は各局がドラマの再放送などをしている時間帯にショー劇場の生放送を始めて若者の心を捉えて社会現象にまで発展した。湊氏はオープニング公演でセリフをまるっきり変えた際の「笑いは旬のもの。」という言葉が印象的だったという。東京に進出した2人はキー局のゴールデンタイムに番組を持ち、音楽番組の司会も務めた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年6月20日放送 23:59 - 0:54 日本テレビ
10人の天才宇宙飛行士 野口聡一が選ぶ10人の天才
野口聡一が選ぶ3人目の天才はダウンタウン。お笑い好きだという野口は「それまでにない景色を見せてくれる」人を「天才」と定義し、お笑いはダウンタウン前と後に分かれると語った。1980年代の漫才ブームまでネタは消費するものだったが、ダウンタウンはお笑いの世界をブランド化して評価することがステータスになることを作り上げたと評した。東野幸治はダウンタウンに会って諦めか[…続きを読む]

2024年6月20日放送 21:54 - 22:00 日本テレビ
まもなくダウンタウンDX(まもなくダウンタウンDX)
ゲストらの胸元には年齢を示すプレートが。このあとの本編では、ゲストらの人生設計を紹介。

2024年6月19日放送 8:00 - 9:55 TBS
ラヴィット!(ラヴィット!)
矢田亜希子が投票して決めたいものは、愛犬・もなかちゃんの8歳の誕生日会。もなかちゃんはトイプードルの女の子などと紹介した。もなかちゃんがスタジオに登場した。矢田さんは誕生日ケーキ、もなかちゃんTシャツでお祝いしたいとのこと。投票で、開催決定。みなみかわ、盛山はやらないと投票した。みんなで歌を歌った。

2024年6月16日放送 23:55 - 0:25 テレビ朝日
チョコプランナー通ったことないサミット
「HUNTER×HUNTER 念能力クイズ」で問題「律する小指の鎖はどんな技?」が出題され、正解は「標的の心臓に鎖を打ち込み設定したルールを宣告、ルールを破った瞬間に鎖が心臓を握りつぶして殺害できる能力」と発表。長田は「HUNTER×HUNTER」のタイトルの由来はダウンタウンの番組で「何で2回言うねん」というツッコミを見た冨樫先生が参考にしたなどと伝えた。[…続きを読む]

2024年6月16日放送 22:00 - 22:30 日本テレビ
おしゃれクリップ父の日スペシャル!芸能生活42年 中山秀征はなぜ愛され続けるのか?
続いてテレビタレント・ヒデちゃんの歴史を振り返る。昭和60年にお笑いコンビ「ABブラザーズ」としてデビューした。デビューしてすぐにファンレターが1日100通と噂があるが、もっとあったと明かす。お笑い第3世代の台頭でコンビからピンへ。平成4年に「DAISUKI!」が始まり、中山秀征の司会や立ち回りが決定づいた。

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