2023年12月23日放送 0:35 - 1:20 NHK総合

アナザーストーリーズ
「笑いの革命者たち〜よしもとNSCの挑戦〜」

出演者
松嶋菜々子 
(オープニング)
オープニング

多くのお笑い芸人を排出したNSCは1982年4月4日に誕生し、1年目には約100人が入学してダウンタウンの2人も中にはいた。2人の才能に惚れ込んだ当時若手社員だった大崎会長の視点を紹介。

キーワード
ダウンタウンハイヒールモモコリンゴ吉本総合芸能学院大崎洋心斎橋筋2丁目劇場松本人志浜田雅功
笑いの革命者たち~よしもとNSCの挑戦~
視点1 時代を変えた“笑いの学校”

吉本興業の現会長である大崎会長はNSC誕生当時は大きな期待をしていなかったという。吉本興業は1912年に創業し、当時は寄席を経営する一興行会社に過ぎず客の殆どが年配者だったという。1980年代になると漫才ブームが巻き起こり関東からも出演依頼が殺到した。当時マネージャーだった大崎会長は、東京での関西の芸人への風当たりの強さを感じていたという。そこでボウリング場の跡地にNSCを立ち上げ、生徒を募った。当時は師匠に弟子入りしてデビューするのが一般的だったが、才能があっても耐えられない人を取り逃しているのではないかと考えたという。1期生は約100人で期間は1年で年間18万円の費用で、軽い気持ちで入る人も多かったという。発足間もないNSCを担当した大崎会長は最初は雑用に追われたという。ダウンタウンの2人に暗くて怖い印象を持ったというが、漫才を見て衝撃を受けた。大崎会長は2人を小さなお笑いの大会に出場させると大賞を獲得したが、当時のお笑いのトップだった横山やすしから「チンピラの立ち話」などと罵倒されたという。2人の漫才を見た上沼氏は友人同士の立ち話のようなスタートだったが毒やセンスがあり面白かったという。しかし、NSC卒業後もダウンタウンのスケジュールは埋まらなかったという。

キーワード
B&BM-1グランプリ2010M-1グランプリ2020なんばグランド花月ぼんちおさむオール阪神・巨人ザ・ぼんちジミー大西ダウンタウンマヂカルラブリー吉本総合芸能学院吉本興業ホールディングス常松裕明心斎橋 わしらはお笑い探検隊松本人志横山やすし・西川きよし浜田雅功浪花・笑いの仕掛け人笑い飯笑う奴ほどよく眠る 吉本興業社長・大崎洋物語里見まさと難波(大阪)

大崎会長は自らラジオ番組に出演し、ダウンタウンの2人を出演させて売り込んだ。番組ではダウンタウンはなぜ売れないかもテーマにした。漫才ブームを牽引した島田紳助は「面白いけど今は流行らない」などと評価した。これにダウンタウンは「僕らの中では漫才の答えが出ているため下手にならないよう練習すればいいだけ。違うところに向かっている。」などと述べた。更に大崎会長は関西テレビのプロデューサーだった上沼氏に2人を売り込み、2人だけのコーナーを獲得して世界観を深めていった。このころになると4期生に今田耕司や板尾創路などの新たな人材も入学し、1期生のハイヒールにも仕事が増え始めてきたが風当たりも強かったという。大崎会長は1986年に心斎橋筋2丁目劇場を立ち上げて若手のお笑いの実験場にした。オープニング公演はダンスを取り入れた青春劇となった。ダウンタウンの2人は当初恥ずかしがっていたといい、演出家の湊氏は大崎会長が2人に檄を飛ばしたことが印象的だったという。また、大崎会長は各局がドラマの再放送などをしている時間帯にショー劇場の生放送を始めて若者の心を捉えて社会現象にまで発展した。湊氏はオープニング公演でセリフをまるっきり変えた際の「笑いは旬のもの。」という言葉が印象的だったという。東京に進出した2人はキー局のゴールデンタイムに番組を持ち、音楽番組の司会も務めた。

キーワード
4時ですよ~だなんばグランド花月ほんこんダウンタウンダウンタウン劇場ハイヒール今田耕司島田紳助心斎橋筋2丁目劇場心斎橋筋2丁目物語板尾創路横山やすし漫才もアイドル時代関西テレビ放送
視点2 地方で探したもうひとつの笑い

福島あるあるが持ちネタの「ぺんぎんナッツ」は、吉本の企画で福島県に移住し、今や地元ラジオ局などに起用される存在となった芸人コンビ。2011年、NSCの入学者は1300人にまで膨れ上がり、プロになっても食べていけない人が多くなっていた。大崎はテレビで地方の若者流出のニュースを見た事をきっかけに、2011年4月に『あなたの街に「住みます」プロジェクト』を立ち上げた。当時は東日本大震災からわずか1カ月という事もあり、自ら福島に向かうと決めた2人は会見でも注目を集めた。いなのは福岡県出身、中学までいじめを受け、その心をお笑いに慰められたから芸人を志した。上京後に中村とコンビを組み、M-1グランプリで爆笑を勝ち取る事を目標とした。鳴かず飛ばずの中企画への参加を決めるも、「売名行為」との批判も浴びた。

キーワード
M-1グランプリあなたの街に「住みます」プロジェクトぺんぎんナッツダウンタウン千葉県古関裕而生誕100年記念モニュメント吉本総合芸能学院吉本興業日本放送協会東日本大震災福岡県郡山市(福島)

ぺんぎんナッツの2人は福島・郡山に向かった。アパートを貸してくれる不動産屋と待ち合わせたが到着は大幅に遅れ、合流は深夜になった。「原発のニュースで福島に住めるのかと不安を抱く中、『住む』と宣言してもらえて嬉しかった」と当時の担当者は話した。震災から2カ月後から移住生活は始まったが、混乱の中でお笑い芸人を起用する仕事はなかった。原発事故で故郷を追われた2500人あまりが避難生活を送る場所に解説されたミニFMへ出演の依頼があった。報酬はなかった。発泡スチロール製の仕切りすらないラジオブースに驚きながら、自己紹介と福島あるあるを話すだけで精一杯だったというが、「人々が笑うきっかけになった」と担当者は話す。ぺんぎんナッツは除染活動にも参加するなど現実とも向き合った。子供達にも目を向け、バルーンアートの練習をし避難所などで披露した。当初「地方で名を挙げて東京に戻る」という野心が無かった訳では無いという。今は「爆笑じゃなくても目の前の人が笑ってくれれば」「ニコニコしてくれるだけで僕らも幸せになる」と2人は語った。

キーワード
おだがいさまFMラジオ局ぺんぎんナッツビッグパレットふくしまラジオ福島富岡町社会福祉協議会東日本大震災郡山(福島)
視点3 これからの新しい笑いとは?

設立から40年、NSCは今も新しいスターを世に送り出している。約1000人が入学する笑いの学校で、その覚悟を試す言葉が講師からは投げかけられる。人種や経歴、年齢など様々な生徒らを、30人ほどの講師が指導する。そのひとりである構成作家の大工富明さんは30年以上指導にあたってきた。彼が「面白い才能だ」と感じたのがゆりやんレトリィバァ。「面白いわけではないが面白くないとも言えない『わからない』の領域がある」「オリジナリティのあるわからなさを“面白い”の方に入れてもいいのではないかと思うようになってきた」と、笑いの見極め方が年々変わってきたと大工さんは語った。

キーワード
ゆりやんレトリィバァダウンタウン吉本総合芸能学院桃源郷第47回NHK上方漫才コンテスト

NSC講師陣で最も恐れられてきたのが漫才作家の本多正識。ネタを見ても全く笑わないがこれは「自分の発想にない面白い事をされると悔しくて腹が立ってくる」「面白くないとこの子達をどう変えてやるべきか真剣に考えてしまう」との事。本多は作家としてオール阪神・巨人と関わる中で笑いを学んだ。彼が意外な才能を感じた生徒は「南海キャンディーズ」の山里亮太。「向いてないからしんどい」と本多が唯一言った相手だという。しかし山里は現状を分析して「まだ市場にない形」をしずちゃんと作りあげるなど、策士の才能を遺憾なく発揮していた。本多さんは「本当に好きなことをしろ」「最後の決断は必ず己でくだせ」と生徒らに伝え続けている。

キーワード
オール阪神・巨人南海キャンディーズ吉本総合芸能学院山崎静代山里亮太

この春にNSCを卒業したのは700人ほど。NSC大阪44期生の主席卒業である「宛先プレーン」は、初めてプロの先輩らと同じ舞台に立った。新たな笑いを追い求める者たちは、今日も全国各地で火花をちらしている。

キーワード
NSC大阪吉本総合芸能学院宛先プレーン
(エンディング)
次回予告

「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」の番組宣伝。

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.