- 出演者
- 松嶋菜々子
オープニング映像。
今回の運命の分岐点は1980年12月8日の午後10時50分。ジョン・レノンはファンを装った男から銃で撃たれて亡くなった。最初の視点は事件後にいち早く現場を訪れた記者のトム・ブルック。トム・ブルックが到着したときは数人の警察官以外は誰もいなかった。トム・ブルックは現場で聞き込みを行い、中継でBBCに出演したという。現場に集まったファンはジョン・レノンの曲を歌っていたという。ジョン・レノンの追悼集会では「イマジン」も流れたという。「イマジン」は追悼集会を境に違う意味を持つ曲になったと思うとトム・ブルックは語った。
平和の尊さを伝えたジョン・レノンは東西冷戦の最中の社会主義国の旧チェコスロバキアの人たちにも大きな影響を与えたという。プラハにある壁がレノンウォールと呼ばれるようになり、そこでジョン・レノンの生き方に憧れた若者たちが壁に肖像や歌詞などを書き込んで自由な社会への思いをジョン・レノンに託して表現したという。1987年12月8日のレノンウォール前で行われたジョン・レノンの追悼集会に警察が介入し、若者たちは不満を募らせていった。1989年にベルリンの壁が崩壊すると解放を求める声はチェコスロバキアにも広がっていった。
1989年の11月17日にプラハ市内で大規模なデモが行われた。ミハル・クドゥルナーチュの学校でもデモが行われ、そこでみんなで「イマジン」を歌ったという。民主化の動きは全国に広がり、11月24日に共産党政権が崩壊した。
2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起きた。第三の視点はこの事件を目撃したニューヨーク市民のジャレド・ゴールドスタイン。事件で絶望した彼に生きる力を与えたのが「イマジン」だったという。同時多発テロ後は社会で怒りが満ちて報復戦争を肯定する世論が圧倒的多数になっていった。ジャレドも怒りを感じていたが、そんな時に「イマジン」を耳にすることがあり、深く染み入り、気づくとジャレドも歌っていたという。2005年からジャレドはニューヨークをめぐるツアーガイドの職に就いたという。ジョン・レノンのことをもっと知ってもらうためだという。
「イマジン」が発表されて50年あまりになるが、現代史の色々な場面で流され次第に輝きを増していった。ロシアがウクライナに侵攻した2022年にジョン・レノンの息子のジュリアン・レノンによる「イマジン」のカバーが発表された。
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2023年12月5日(23:50)