平和の尊さを伝えたジョン・レノンは東西冷戦の最中の社会主義国の旧チェコスロバキアの人たちにも大きな影響を与えたという。プラハにある壁がレノンウォールと呼ばれるようになり、そこでジョン・レノンの生き方に憧れた若者たちが壁に肖像や歌詞などを書き込んで自由な社会への思いをジョン・レノンに託して表現したという。1987年12月8日のレノンウォール前で行われたジョン・レノンの追悼集会に警察が介入し、若者たちは不満を募らせていった。1989年にベルリンの壁が崩壊すると解放を求める声はチェコスロバキアにも広がっていった。
1989年の11月17日にプラハ市内で大規模なデモが行われた。ミハル・クドゥルナーチュの学校でもデモが行われ、そこでみんなで「イマジン」を歌ったという。民主化の動きは全国に広がり、11月24日に共産党政権が崩壊した。
1989年の11月17日にプラハ市内で大規模なデモが行われた。ミハル・クドゥルナーチュの学校でもデモが行われ、そこでみんなで「イマジン」を歌ったという。民主化の動きは全国に広がり、11月24日に共産党政権が崩壊した。