オーギュスト・ロダンの「地獄の門」はダンテの長編詩「神曲」の地獄編をテーマとし、製作に30年以上を費やした。元々、フランス政府から美術館の門扉として制作の依頼が舞い込んだが、美術館の建設が中止となってしまう。ロダンは作品を引き取って制作を継続し、愛人ができたことで女性像が増えたとも言われる。1900年、地獄の門が個展で公開されたが、立体的な人物像は全て取り払われていた。1916年、ロダンは脳卒中で倒れ、彫刻作品を政府に寄贈した。翌年、77歳で死去。片桐仁はロダンの作品に「バルザック像」があり、服を着用しているが元々は全裸に片手で股間を掴んでいたといい、ダメに決まってるだろと思ったという。