在庫を抱えたアランさんは、日本とアメリカを行き来しながら次の出版先を探した。そんな中で、はだしのゲンをロシア語に訳していた翻訳家の浅妻さんと出会った。思っていたのは親交のあったウクライナ人女性のニーナ・ヴァシレンコさん。チェルノービリ原発事故で被爆し、体を壊していた。アランさんはサンフランシスコにある小さな出版社に行き当たり、出版してもらえることになった。アランさんたちは7年かけて翻訳し、2009年に英語版10巻が完成した。編集者はクラウドファンディングで3万ドル以上を集め、10年間で7000冊以上を全米の図書館に送った。はだしのゲンは若い世代に静かに広まっていった。