脇屋友詞シェフは1皿1皿を美しく盛り付けるフランス料理のエッセンスを中国料理に取り入れている。中国料理の世界大会では日本人として初の金賞を受賞した。脇屋シェフは北海道で生まれやんちゃな少年時代を過ごした。突然父親が料理の世界に放り込み中学の卒業式の3日後に山王飯店で働き始めた。脇屋シェフの親方は盛福江さんで使った中華鍋を洗うのが最初の仕事。ときには高級食材を台無しにしたこともある。怒られたときはスキー場で気分転換した。そのときに武者小路実篤の言葉と出会ってからは覚えた料理などをノートに記録し重い鍋を片手で持てるまでに成長した。また、厨房の音を聞き分け親方を手助けした。3年目には下ごしらえを任せられたが料理長にはなれないと感じ山王飯店を辞めた。その後星ヶ岡の料理長補佐まで上り詰めた。すると常連客から料理長を探しているという話が舞い込み料理長に就任した。しかし、赤字が続き思いついたのが1人分のコース料理。中国料理には1人前ずつ皿に持って出すコースは存在しなかった。また、中国料理の常識を打ち破る革新的なメニューも考えた。売上は増え厨房の料理人が5人から25人に増えた。中国料理について脇屋シェフは「未知の世界」と話した。
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