- 出演者
- 宮根誠司 藤本万梨乃 石戸諭 山崎玲奈
オープニング映像。
台湾総統選で民進党の頼清徳氏が当選した。蔡英文総統の対中強硬路線を継承するとしている。中国は頼氏をトラブルメーカーと批判し、台湾統一への意欲を示した。頼氏は中国の選挙介入を指摘。選挙期間中、ネットにはデマやフェイク動画などが氾濫した。台湾の世論調査では中国との距離感について、約6割が永遠に現状維持と答えた。専門家は今のところ台湾有事の可能性は高くないと話した。頼氏は中国とは対立ではなく対話を用いるとしている。
中華の革命児、脇屋友詞を紹介。夢もなく料理人に向いていなかったと自ら話す脇屋は、なぜ高みに上り詰めることができたのか。去年12月にGinza脇屋をオープン。高温の窯で食材のうまみと香りを一気に閉じ込めることに挑戦している。著書には意外な修行時代が綴られている。きっかけは中学3年の進路相談だった。
脇屋友詞の父は易者で、息子には食の神様がついていると占い、勝手に赤坂・山王飯店への就職を決めてしまった。当時15歳の脇屋は失敗ばかり。心の支えは優しく送り出してくれた母だった。同期は次々辞めていき、就職1年目の暮れに…。
脇屋友詞は母に叱られ、気分転換に出かけた先で、後の人生を決める武者小路実篤の言葉に出会った。それ以来、脇屋は変わり、親方たちのレシピをメモし続けた。3年後には201品のグランドメニューを完全にマスター。その後10年間、名店で腕を磨き、20代で厨房を仕切るようになった。そして実業家・馬場とよ子氏に依頼され、楼蘭の料理長に。脇屋は1人分を熱々で食べられる日本初の中華のコース料理を考案。脇屋の代名詞となるヌーベルシノワが誕生した。店は数ヶ月先まで予約でいっぱいに。
脇屋の噂は本場香港のシェフにも届いた。劉耀輝氏は脇屋について、他のどのシェフよりも先を行くパイオニアだったと語った。その後の脇屋の活躍を業界で知らぬ者はいない。石鍋裕氏はその革新的な料理に惚れ、トゥーランドット游仙境をプロデュース。2007年にはロバート・デニーロらの出資でニューヨークにWakiya Gramercy Park Hotelをオープンした。脇屋は普通の夢もない男がそれをできるようになったのは、この道に行こうという気持ちがあったからじゃないかと話した。
全国都道府県対抗女子駅伝。兵庫の田中希実が19人抜きで区間賞を獲得した。宮城県が29年ぶりに優勝した。
全国の天気予報を伝えた。
1週間の主なニュース予定を伝えた。
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