アメリカ・ニューメキシコ州。1945年7月に行われた人類初の核実験「トリニティ実験」。ここで試されたプルトニウム型原爆は翌月長崎に投下された。現在、爆心地には石碑が設置されている他、地面には爆発の熱で形成された「トリニタイト」という人工鉱物が散乱し実験の事実を物語っている。当時13歳だったルーシー・ガーウッドさんは「家が震えているようだった」と話す。当時爆心地から約80キロ圏内に1万3000人ほどが生活していた。しかし、軍からの事前の説明はなく、実験後も弾薬庫の爆発を発表。子どもたちは用水路で遊ぶなど通常通りの生活を続けルーシーさんも含む多くの人が被爆した。周辺地域ではがんを発症する人が増えたが、実験の機密性や実態の把握の遅れなどから長年調査はされなかった。父親をがんで亡くし、自身もがんに苦しむティナ・コルドバさん。2005年に被害者団体を設立し、国に補償などを求めてきた。過去には犠牲は仕方なかったと言われたこともあったという。今月16日、ティナさんたちの活動が実を結び、かつての実験場の入口に被爆者の存在を伝える標識が設置された。さらに今月トリニティ実験の被爆者らに国が補償金を支払う法律が成立。ティナさんは喜ばしいとしながらも今も核の脅威が消えない現状に「一度やってしまったら終わり・大切な人は帰ってこない」などコメント。現在世界全体の核弾頭は約1万2000発あるとみられている。