高度経済成長期の1961年はスーダラ節が流行。NHKでは「若い季節」の放送が開始。銀座の化粧品会社が舞台の生放送のコメディードラマ。黒柳徹子をはじめ、坂本九や渥美清などテレビ創世記のスターが勢揃い。黒柳が宝物にしている「ドイツ製の双眼鏡」はこのドラマで共演した沢村貞子から贈られたもの。沢村といえば意地悪な姑が当たり役だった。沢村は明治41(1908)年に東京・浅草で生まれた。父は狂言の作者・加東伝九郎、兄・沢村国太郎と弟・加東大介は共に役者。甥は長門裕之と津川雅彦という芸能一家で育ち、26歳で映画女優デビュー。人の5倍勉強して脇役に徹することを肝に銘じた。教えを受けた草刈正雄さんが沢村の印象を語ってくれた。黒柳は厳しい母さんでしたけど、人間としては非常に優しい方でしたと語った。沢村は映画評論家で亭主関白だった夫・大橋恭彦のために毎日手料理を作った。いい役があっても宿泊を伴う仕事はNGだったという。料理の献立を丁寧に記録したノートは27年間で36冊になった。黒柳は沢村の手料理を食べるため頻繁に自宅を訪問した。女優を引退して82歳になった沢村は夫と共に葉山へ移住。目の前に見える富士山と相模湾を双眼鏡で眺めていた。4年後に夫が84歳で亡くなり、ふさぎこむようになった沢村を心配した黒柳は自ら運転して葉山へ通った。夫の遺言が書かれた原稿用紙を見つけた沢村は2人で一緒に覗いていた双眼鏡を取り出し、再び海を眺めるようになった。自分が死んだら夫の遺骨と一緒に自分の骨を相模湾にまいてほしいとの思いを黒柳へ託した。黒柳が形見分けでもらった双眼鏡は夫を愛し抜いた沢村の生きた証だった。
