- 出演者
- 黒柳徹子 YOU 吉岡里帆 江原啓一郎
今年7月、黒柳徹子ミュージアムが軽井沢にオープン。長年に渡って集めてきた美術品やアンティークが展示されている。松任谷由実からもらったネックレス、美川憲一からもらった眠り猫を紹介。眠り猫は安眠・平和・幸運などを祈願した日本の民芸品。今回は他にも特別にスターから贈られた秘密の宝物を大公開。時代を切り開いた3人との感動の物語を紹介する。
オープニング映像。
黒柳徹子の宝物6つ目は「屋久島の杉の置物」。1958年に東京タワーが完成し、お茶の間にも本格的にテレビが普及し始めた。この年は長嶋茂雄が巨人軍でデビュー。NHK入局5年目の黒柳は女性最年少で紅白歌合戦の司会者を務めた。杉の置物の贈り主はこの年にNHKに入局した野際陽子さん。知的な雰囲気と安定したアナウンス力の野際は入局3年目で朝の情報番組の司会を担当。そんな野際を世間は放っておかず、わずか4年でNHKを退局。日本初の女性フリーアナウンサーとなった。黒柳と共に女性誌のモデルを務め大きな話題となった。NHKを退局してから4年後の1966年に野際は単身フランス留学。黒柳は音楽・コント・トークを融合した生放送の音楽バラエティ「夢であいましょう」に出演し、お茶の間の人気者となった。1年間のフランス留学を終えて帰国した野際はミニスカ-ト姿で世間を驚かせ、日本で初めてミニスカートを履いたと言われた。帰国後は本格的に俳優に挑戦。代表作となったのがドラマ「キイハンター」。黒柳もNHKを退局してニューヨークへ留学。2人は豪華客船に乗って世界一周の旅に出かけようと約束した。2人はテレビが始まってから共に戦い続けた戦友だった。野際は1973年に千葉真一と結婚。38歳で長女・樹里さんを出産した。家族3人で食卓を囲む貴重な音声が残っている。真瀬樹里さんが当時を振り返ってくれた。千葉の事業が失敗し、野際は家族の暮らしを守るためどんな仕事も引き受けたという。1992年のドラマ「ずっとあなたが好きだった」で佐野史郎演じる「マザコンの冬彦さん」の母親役を演じて大きな注目を集めた。クセのある姑役が定着し、連続ドラマに欠かせない存在となった。黒柳と野際は2003年に神戸を訪問。船が見える海沿いの公園で若き日の豪華客船に乗る夢について語り合った。別れ際に黒柳は手紙を送った。野際は学生時代から登山を続け、70歳を前に屋久島登山に挑戦した。それを記念して黒柳へ贈ったのが杉の置物だった。晩年の野際は病気を隠しており、黒柳も知らなかったという。野際さんが亡くなった時ほどショックを感じたことはないと語った。
構想から7年を経て今年7月に開館した黒柳徹子ミュージアムには様々な宝物が並ぶ。人生の節目ごとに着た森英恵さんの「イブニングドレス」の中でも特別な一着が「ザ・ベストテン」の初回放送のためにデザインされたドレス。森は22歳で結婚。子育てをしながら専門学校で洋裁を学び、1951年に新宿に「ひよしや」を開業。人気映画の衣装を担当し、若者の間で流行した。日本の女性も世界で活躍できることを証明してみせると1965年にニューヨークで初コレクションを発表。日本の伝統美を活かしたファッションは東洋と西洋の出会いと絶賛された。この頃にニューヨーク留学中だった黒柳は友人の紹介で森と出会った。義娘パメラさんと孫の泉さんが森と黒柳について語ってくれた。森はホームパーティーを開いて黒柳に友達を紹介していたという。ニューヨークで成功した森は1977年にパリ・コレクションに進出。東洋人で初めてパリ・オートクチュール組合の会員となった。日本では黒柳が司会を務める音楽番組「ザ・ベストテン」が1978年に始まった。初回放送のため森がデザインしたのは大きな牡丹が描かれたシルクのイブニングドレス。世界を目指して高く飛んでいきなさいとのメッセージが込められていたという。1993年は皇太子さまと雅子さまのご成婚パレードに日本中がわいた。森は雅子さまがお召しになっていた純白ドレス「ローブ・デコルテ」をデザイン。森の功績はフランス政府からも認められ、2002年にレジオン・ドヌール勲章オフィシエを受賞した。
高度経済成長期の1961年はスーダラ節が流行。NHKでは「若い季節」の放送が開始。銀座の化粧品会社が舞台の生放送のコメディードラマ。黒柳徹子をはじめ、坂本九や渥美清などテレビ創世記のスターが勢揃い。黒柳が宝物にしている「ドイツ製の双眼鏡」はこのドラマで共演した沢村貞子から贈られたもの。沢村といえば意地悪な姑が当たり役だった。沢村は明治41(1908)年に東京・浅草で生まれた。父は狂言の作者・加東伝九郎、兄・沢村国太郎と弟・加東大介は共に役者。甥は長門裕之と津川雅彦という芸能一家で育ち、26歳で映画女優デビュー。人の5倍勉強して脇役に徹することを肝に銘じた。教えを受けた草刈正雄さんが沢村の印象を語ってくれた。黒柳は厳しい母さんでしたけど、人間としては非常に優しい方でしたと語った。沢村は映画評論家で亭主関白だった夫・大橋恭彦のために毎日手料理を作った。いい役があっても宿泊を伴う仕事はNGだったという。料理の献立を丁寧に記録したノートは27年間で36冊になった。黒柳は沢村の手料理を食べるため頻繁に自宅を訪問した。女優を引退して82歳になった沢村は夫と共に葉山へ移住。目の前に見える富士山と相模湾を双眼鏡で眺めていた。4年後に夫が84歳で亡くなり、ふさぎこむようになった沢村を心配した黒柳は自ら運転して葉山へ通った。夫の遺言が書かれた原稿用紙を見つけた沢村は2人で一緒に覗いていた双眼鏡を取り出し、再び海を眺めるようになった。自分が死んだら夫の遺骨と一緒に自分の骨を相模湾にまいてほしいとの思いを黒柳へ託した。黒柳が形見分けでもらった双眼鏡は夫を愛し抜いた沢村の生きた証だった。
エンディング映像。
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