黒柳徹子の宝物6つ目は「屋久島の杉の置物」。1958年に東京タワーが完成し、お茶の間にも本格的にテレビが普及し始めた。この年は長嶋茂雄が巨人軍でデビュー。NHK入局5年目の黒柳は女性最年少で紅白歌合戦の司会者を務めた。杉の置物の贈り主はこの年にNHKに入局した野際陽子さん。知的な雰囲気と安定したアナウンス力の野際は入局3年目で朝の情報番組の司会を担当。そんな野際を世間は放っておかず、わずか4年でNHKを退局。日本初の女性フリーアナウンサーとなった。黒柳と共に女性誌のモデルを務め大きな話題となった。NHKを退局してから4年後の1966年に野際は単身フランス留学。黒柳は音楽・コント・トークを融合した生放送の音楽バラエティ「夢であいましょう」に出演し、お茶の間の人気者となった。1年間のフランス留学を終えて帰国した野際はミニスカ-ト姿で世間を驚かせ、日本で初めてミニスカートを履いたと言われた。帰国後は本格的に俳優に挑戦。代表作となったのがドラマ「キイハンター」。黒柳もNHKを退局してニューヨークへ留学。2人は豪華客船に乗って世界一周の旅に出かけようと約束した。2人はテレビが始まってから共に戦い続けた戦友だった。野際は1973年に千葉真一と結婚。38歳で長女・樹里さんを出産した。家族3人で食卓を囲む貴重な音声が残っている。真瀬樹里さんが当時を振り返ってくれた。千葉の事業が失敗し、野際は家族の暮らしを守るためどんな仕事も引き受けたという。1992年のドラマ「ずっとあなたが好きだった」で佐野史郎演じる「マザコンの冬彦さん」の母親役を演じて大きな注目を集めた。クセのある姑役が定着し、連続ドラマに欠かせない存在となった。黒柳と野際は2003年に神戸を訪問。船が見える海沿いの公園で若き日の豪華客船に乗る夢について語り合った。別れ際に黒柳は手紙を送った。野際は学生時代から登山を続け、70歳を前に屋久島登山に挑戦した。それを記念して黒柳へ贈ったのが杉の置物だった。晩年の野際は病気を隠しており、黒柳も知らなかったという。野際さんが亡くなった時ほどショックを感じたことはないと語った。
