日本人初のスーパーモデル・山口小夜子。洋裁好きの母の影響で幼い頃よりおしゃれに興味を抱きファッションデザイナーになるべく専門学校に進む。先輩たちからスタイルの良さを見込まれ仮縫いモデルを頼まれるうちプロモデルを目指すようになった。しかし当時は西洋人モデルがもてはやされ純日本的な小夜子はオーディションで落ち続けた。挫折し諦めかけた頃、山本寛斎がショーに抜擢。独特のミステリアスな雰囲気が海外から新鮮な驚きを持って迎えられ有名ブランドがこぞって起用。ついにパリコレクション出演を実現した。資生堂のイメージキャラクターに抜擢され撮影を担当したのが写真家・横須賀功光。依頼品は横須賀功光が撮影した山口小夜子の写真パネル31点。